日本になぜ(米国型)シンクタンクが育たなかったのか?(pdf)鈴木崇弘

鈴木崇弘 総合研究開発機構、
日本国際フォーラム
笹川平和財団
日本財団 勤務、
東京財団 研究事業部長、
(社)アジアフォーラム・ジャパン 上席研究員、
大阪大学特任教授・フロンティア研究機構 副機構長、
自由民主党党改革実行本部シンクタンク 準備室長、
有限責任中間法人「シンクタンク2005・日本」理事・事務局長
91年―93年まで アーバン・インスティテュート(米国)アジャンクト・フェロー
中央大学大学院公共政策研究科客員教授、法政大学大学院兼任講師、
朝日新聞WEBRONZAのレギュラー論者、
グローバル政策イニシアティブ(GPI)顧問等

重要なところを引用させてもらいます。

そこで、笹川平和財団(SPF)に勤務した際に、日本に独立型の民間非営利シンクタンク(つまり米国型シンクタンク)を創設するためのプロジェクトを、米国の有力シンクタンクであるアーバン・インスティテュート(UI)の協力のもと、1991年にそのプロジェクトを実施した。その事業の一環として、世界16ヵ国・100以上のシンクタンクの現地調査も行った。
 その活動の中で判明したことは、日本では、一般論として米国のような民間非営利独立型のシンクタンクの設立への理解や賛同を得られても、先にも述べたように社会的な環境がないので、実際の設立となると、資金的な困難がともなうということであった。そこで、日本では、ある程度の規模の基金をもつシンクタンクの設立の必要性を訴えることになった。だが現実のスポンサー探しは難航した。しかしながら、幸運なことに日本財団等の理解を得て、日本で初めての本格的で独立したシンクタンク活動を行う部門を有する国際研究奨学財団(その後、東京財団に改名。以降は東京財団と呼ぶ。http://www.tkfd. or.jp/)を1997年に設立することができた。同財団の設立は、筆者がシンクタンク設立に向けて本格的に活動を始めた1989年前後から、約8年間かかってたどり着いた成果であった。同財団では、竹中平蔵を中心に政策研究を行い、政策提言をしたり、時の政府の政権運営等に関与したりした。また小泉政権発足にともない、同氏は政治任用で大臣に就任、政権交代時に人材輩出機能を果たす米国のシンクタンク的な実績を残すこともできた。このように、東京財団が米国型シンクタンク的な活動をある程度はできた背景には、資金的な裏付けがあった以外に、同氏の存在が大きい。

東京財団→元理事長:竹中平蔵

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