片岡一久宝くじ部長の軌跡

宝くじ

宝くじのルーツといえば、日本勧業銀行第11代目の宝くじ部長である片岡一久氏です。
宝くじ部長に正式就任したのは遅かったものの、戦時から片岡氏は宝くじの前身である台湾彩票という富くじや、福券、勝札に関与しています。

片岡一久氏経歴
片岡敬吉(父)–日本興業銀行監査役
三重県鈴鹿市出身
東北帝国大学文学部卒業
(1936年2月26日–二二六事件)
1936年4月*****-日本勧業銀行台北支店入行
※台湾総督府が発行する富くじ「台湾彩票」に出会う
※台湾彩票は台湾総督府民政局長=後藤新平岩手県水沢出身)が発案
1938年2月*****-日本勧業銀行京都支店に転勤
1938年11月3日–小寺淑子と結婚
※式は帝国ホテル、日本興業銀行総裁夫妻の媒酌
1941年6月21日–日本勧業銀行本店営業部に転勤
1942年12月—-戦時債券部に異動、「南方経済調査団」の一員に抜擢
1943年4月——マレーにて富くじ「興南彩券」を発売
1944年—-大蔵省国民貯蓄局計画課、林修三課長(34)と出会う※片岡一久氏(33)
※国民貯蓄局氏家局長
1944年8月30日–福券を小磯内閣の蔵相石渡莊太郎が発行命令
1944年9月25日–福券、全国一斉発売
1945年5月8日—-大蔵省に資金吸収特別方策委員会発足
※広瀬豊作会長(蔵相)、山際正道委員(大蔵次官)、氏家武委員(大蔵省国民貯蓄局長)ほか
1945年7月6日—-「勝札」発売
(1945年8月15日–終戦)
1945年8月25日–「勝札」抽せん会(勧銀長野支店にて)
1945年10月29日–第1回宝くじ、全国一斉発売
1946年6月28日–次長として福井支店に転勤
※当時の福井支店長は篠田栄三郎氏→新村千春徳武卯三郎
(1948年6月28日–福井地震)
1950年8月*****-次長として名古屋支店に転勤※名古屋支店長は田林政吉
※「丸八会」中部経済新聞社、三宅兼松常務に接近
1953年2月*****-東京本店審査第一部企画課に転勤
1955年8月19日–支店長として岡崎支店に転勤(1958年1月19日まで)
1958年1月20日–支店長として五反田支店に転勤(1959年11月1日まで)
※若林二三夫常務(若林電気)、福島正治社長(東邦精機)、永野英雄社長(光洋電機)と知り合う
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1959年11月—-宝くじ部長就任
1967年5月*****—日本勧業銀行取締役審議室長
1967年10月*****-(株)日本宝くじ販売営業開始(増田篤社長)
1967年11月*****-日本勧業銀行常務取締役審議室長
1968年5月*****—日本勧業銀行常務取締役企画部長
※1968年頃、日本アイ・ビー・エム、椎名武雄副社長、および三菱樹脂経理部財務課辻輝彦課長代理に出会う
1969年11月29日—-(株)日本宝くじ販売、(株)日宝販に商号変更
1970年5月*****—日本勧業銀行退任
1970年6月*****—(株)日宝販会長、南桜商事(株)社長
1970年7月*****—(社)東京宝くじ協会顧問
1970年9月*****—中部経済新聞社相談役
1971年6月*****—インターナショナル・エージエンシー取締役
1971年10月*****-中経映像監査役
(1971年10月1日–第一勧業銀行発足)
1972年7月*****-中経企業(株)取締役
1973年8月
*****-(株)ヒビヤ・エージエンシー取締役(設立1973年8月21日)
1974年5月*****-中部経済新聞社取締役
1974年8月*****-(株)企画研究所取締役
1975年5月*****-中部経済新聞社監査役、全日本テレビサービス(株)取締役、中経企業(株)監査役
1976年6月
*****-(株)日宝販社長、(社)東京宝くじ協会名誉会長
1976年12月15日–逝去

椎名武雄氏→HOYAからのコネクション〜その1参照
辻輝彦氏→ブルドックソース買収事件の不可解参照

■考察
興味深いのは片岡氏の異動があった支店です。
戦後すぐが福井支店次長なのですが、これはポイントでしょう。
戦後、色んなベクトルが福井に向かっています。福井には何かあるように思えます。
また、五反田支店では支店管轄の会社を、宝くじ抽せん機器の製作会社としています。

南桜商事→現在の日新建物(株)
全日本テレビサービス(株)→現在の(株)
NHKアイテック
日宝販→
現在のケイ・エス・オー(株)
※機能的には日本ハーデス(株)のほうが日宝販の実質的後継

ヒビヤ・エージエンシー→現在の三都興業(株)※現在日本土地建物の大株主

NHKアイテックとその関連会社においては、現在も勧銀人材との関係が続いているようです。
中でも(株)アイテックリース東京リースの関連会社となっています。
全日本テレビサービス(株)の設立は1969年7月23日で、勧銀南別館にて営業開始しているのも興味深いところです。この後、NHKと勧銀人脈との繋がりは現在に至るまで続いているようです。
※中経企業は中部経済新聞社の関連企業で、宝くじ販売も定款に入れています。

退社後の日宝販での活動で不可解なのは、名古屋日宝販を設立する際の片岡氏の挙動です。
それは「取締役宝くじ部長/大山真人著」で次のように書かれています。

「取締役宝くじ部長」より>
まず精力的に各地に日宝販の支社、支店を開設しはじめた。とくに名古屋支店開設にはことのほか熱を入れた。
<中略>
中村にあった彼の自宅を間借りしての強引な開設だった。そして本人をむりやり嘱託社員に据えた。
※彼とは中日新聞記者の杉藤四郎のこと。

名古屋日宝販は1970年12月設立のようですが、1980年には愛知日宝販が設立されたので、閉鎖されているのでしょう。
片岡氏は1970年9月に中部経済新聞社の相談役に就任しているので、慌てて会社を設立した理由は、何かその辺りが関係していると考えるのが妥当です。

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