第一勧銀利益供与事件における関係者

宝くじの闇

1997年5月に発覚した第一勧銀利益供与事件について。

※肩書は(株)第一勧業銀行における最終のもの

肩書 逮捕者 懲役 執行猶予 特記事項
会長 奥田正司 9月 5年
副頭取 金沢彰 8月 4年 1993年度ネットワーク企画部担当取締役
事件後、(株)共同債権買取機構 代表取締役
副頭取 内田恒雄 8月 4年 1993-1994年度ネットワーク企画部担当取締役
副頭取 藤田一郎 8月 3年 1995-1996年度ネットワーク企画部担当取締役
専務 田中賢二 8月 3年 1993-1994年度宝くじ部担当取締役
専務 福島建夫 8月 3年 1995年度ネットワーク企画部担当取締役
事件後、勧銀系宝くじ関連会社(ハーデス・グループ役員
ハーデス・グループと第一勧銀総会屋事件逮捕者名人物の履歴参照
常務 寺沢康行 8月 3年 1994年度ネットワーク企画部担当取締役
常務 猪爪博 6月 3年 1995年度宝くじ部担当取締役
取締役
総務部長
渋谷龍夫 6月 3年 事件後、勧銀系宝くじ関連会社(ハーデス・グループ役員
ハーデス・グループと第一勧銀総会屋事件逮捕者名人物の履歴参照
営業第七部長 草島道能 6月 2年 事件後、
(株)サンレジャー(小野グループ・壽工業(株)子会社) 代表取締役社長
勧銀系宝くじ関連会社(ハーデス・グループ役員
ハーデス・グループと第一勧銀総会屋事件逮捕者名人物の履歴参照
総務部副部長 真鍋卓史
眞鍋卓史
6月 2年 事件後、栄養食(株)代表取締役社長

総会屋小池隆一による利益供与事件の顛末については書籍で見ていただくこととして、逮捕者と人脈についてここでは扱っていきます。

※特記事項の根拠については、「経営の健全化のための計画」(金融庁に第一勧銀が提出した正式資料)の16Pを参照してください。
赤文字の人物が、勧銀系の宝くじ販売会社、通称ハーデス・グループの役員として名前が確認できる人物です。
また、逮捕以前の年度で宝くじ部担当役員だった方も2名見受けられます。
※上記金融庁リンク資料より以前の年度についての担当は不明です。
逮捕時以前に既に宝くじ部担当だった役員が二人もいるのは、特筆点ではないでしょうか?
マスコミはこの事実を一切報道していないはずです。
また、ネットワーク企画部担当取締役がこうも綺麗に揃っているのは、会社が意図的に人員配置をしていた可能性も想像できます。
ちなみに小池隆一に対して第一勧銀の不正融資が始まったのは、1985年3月頃と関係書籍に書いてあったのを記憶しています。
発覚して特捜部が動いたのが1997年にすぎないということです。

■「会長はなぜ自殺したか 金融腐敗=呪縛の検証」(読売新聞社会部著)より

146-147pより

92年7月上旬。第一勧銀総務部長波多野穣同部総括次長渋谷龍夫は、小池から難題を突きつけられて思案にくれていた。
当時、小池は実弟の嘉矩が社長を務める小甚ビルディングの名義で同行から56億6千万円の融資を受けていたうえ、実弟の個人名義でも32億5百万円の融資残高があった。

 

149-150pより

同年(※92年)9月4日、築地の料亭・吉兆で、会長だった宮崎邦次、頭取の奥田正司木島と親しかった副頭取の新井裕波多野の前任の総務部長だった入山晃嗣、それに田中の五人が木島を囲んでいた。
宴席の名目は、この年の初め、食道ガンの手術を受けて退院した木島自身の快気祝いだった。
第一勧銀の五人は木島と親しく、木島本人から指名されたメンバーだった

※木島=木島力也、田中=田中賢二

1993年9月2日-木島力也、肺ガンで死亡

154pより

猪爪は、92年7月波多野と同様に、その処理について、審査担当役員に相談を持ちかけた。当時の担当役員は、専務に昇格していた内田恒雄とその年の5月に審査担当常務になったばかりの寺沢康行である。

寺沢は第一銀行出身。内田は日本勧業銀行出身だった。第一銀行出身の猪爪はまず、寺沢に銀行の恥部を打ち明ける。その時、寺沢は小池融資の実態を初めて知らされ、驚きを隠さなかった。「聞きたくもない話だ」

三日後の(※1994年)9月16日。専務だった内田の部屋で、内田と寺沢、それに猪爪と総務部副部長だった草島道能が話し合った。猪爪は小池が経済的に破綻している状況を詳細に説明したうえで、「小池のゴルフ場開発の可能性は高くなっていますが、これ以上、MOF検(大蔵省の検査)隠しはできないので、焦げついている融資はすべて検査対象として出すことにしようと思います」と述べ、小池への融資も不良債権として大蔵検査で説明しなければならないことを提案した。

タイトルとURLをコピーしました