(株)愛知日宝販
1980年10月1日-設立(愛知県名古屋市中村区名駅1-2-1)
1980年10月20日-愛知県名古屋市中区栄3-7-20に移転
2001年4月2日-東京都千代田区九段北4-1-10 (株)日宝販に合併解散
■役員抜粋
代表取締役 1994.6-1998.6 |
大柳良伸 | クロノス参照 |
代表取締役 1995.6-1997.4 |
千村恒人 | サンレジャーと第一勧銀人脈参照 |
代表取締役 1998.6-2001.1 |
織田信夫 | DKB関連会社分析〜第一勧銀ハートサービス参照 |
代表取締役 2001.1-解散 |
柳楽和之 | 第一勧銀鹿児島支店長参照 |
■考察
「宝くじ戦争」大山真人著(洋泉社)
第6章 片岡一久vsテキ屋 より
片岡は新宿の尾津喜之助、池袋の関口愛治など主要なテキ屋の親分に話をつけた。どのような話になったのか、片岡本人も亡くなっているためこれ以降は推測の域を出ない部分もあるが、当時片岡のもとで働いていた部下が「接見」を証言している。ただ、渋谷、上野などの「解放国民」と話ができたとは思えない。駅前占拠は東京に限ったことではなく、片岡は地方の都市にも出かけて話をつけたという。
これは片岡の長男である英統<ひでのり>(一敬を改名)の話である。
「父はよく名古屋の話をしました。名古屋に行くと、教えてもいないのに名古屋の有力な親分衆が駅に出迎え、父は居並ぶ親分衆の間をかき分けるようにして進んだといっていました。父のことですから、胸を張って堂々と歩いたんでしょうね」
英統は、親分衆が片岡を出迎える原因を「俺が宝くじの世話をしてやったからだ」と聞いている。
片岡一久→片岡一久宝くじ部長の軌跡参照