横須賀生まれの水品浩(みずしな・こう、1895-1978)は海外生活に憧れ、1915年(大4)陶器貿易の森村組に就職。1920年(大9)森村ブラザース商会の駐在員として米国に派遣され経営学を習得。1923年(大12)日本陶器の事務処理にIBMの統計機械を提案し、水品がIBMの機械の実習生となることで代理店契約することが出来た。1927年(昭2)IBMの代理店が森村商事から黒沢商店に代わり、水品も黒沢商店に移籍。新製品IBM405が開発されると日本でも相次いで採用され、IBMは日本に現地法人を設立することを決定。第一銀行常務渋沢敬三(しぶさわ・けいぞう、1896-1963)の協力を得、1937年(昭12)日本ワットソン統計会計機械を設立、社長は渋沢智雄(しぶさわ・ともお、1901-1947)。1950年(昭25)日本インターナショナル・ビジネス・マシーンスに、1959年(昭34)日本アイ・ビー・エムに社名変更。
■系図
渋沢智雄–芳昭–健