ニツセキ開発(株)
名前のとおり、ニツセキハウス工業(株)の関連会社です。
ニツセキハウス工業については第一勧銀に依頼され、小野グループが1997年に再建に乗りこんだ話は以前書きました。
今度は、ニツセキ開発の最期までを追ってみます。
【法人履歴】
1998年3月18日–設立(福岡県福岡市博多区博多駅前4−4−21グリーンビル1階)
1998年10月1日–東京都渋谷区恵比寿4−20−3に移転
1999年8月7日–—東京都港区高輪2−15−21に移転
2006年5月26日–宝商事(株)に商号変更
2006年5月31日–大阪府大阪市都島区中野町1−7−7に移転
2007年3月31日–株主総会決議により解散
2009年12月29日—清算結了
【代表取締役履歴】
神農雅嗣代表取締役(設立〜2006年5月26日)
長谷川晃代表取締役(設立〜1999年5月25日)
福田堯至代表取締役(設立〜1999年5月25日)
三上啓一代表取締役(2006年5月26日〜清算)※代表清算人
【第一勧銀出身役員】
菅原敏行取締役
(設立〜1998年5月29日)
千村恒人取締役
(設立〜2002年5月23日)
平山忠文監査役
(1998年5月29日〜2002年10月30日)
【考察】
2002年10月30日にニツセキハウス工業は壽工業とともに民事再生法適用申請するのですが、ニツセキ開発は、小野グループ東京本部住所のまま存在し、2006年になり宝商事と名を変え、復活します。
その後、大阪に移転した理由は何なのでしょうか?
ニツセキハウス工業経営再建中に、ニツセキ開発の定款に加わった項目
→総合リース業並びに有価証券の保有、売買及び運用(2002年4月12日変更)
【つぶやき】
何故に宝……?
【参考記事】
ニツセキハウス工業、民事再生手続開始を申請
ニツセキハウス工業(株)は30日、同日開催の臨時取締役会において民事再生手続開始の申立てを行なうことを決議し、東京地方裁判所に申し立てを行なったことを明らかにした。
プレハブ住宅メーカーとして事業を展開してきた同社は、総合ハウスメーカーとして業容拡大をめざすとともに工場を中心とした投資を行なってきたが、思うような成果が得られず過大な有利子負債を抱えるに至った。メインバンクであるみずほコーポレート銀行の協力のもと、数度にわたり組織集約やアパート事業への特化など経営再建計画を策定、2002年4月以降は、主要株主や主力金融機関に対する支援要請を含めて事業計画の見直し図るなど、再建に向け尽力してきたが、最終的な再建計画の策定には至らず、民事再生手続きを申し立てる運びとなった。
2002年9月末日時点での負債総額は175億1,312万円。今後は、(株)マキテック(名古屋市熱田区、社長:真木伸一氏)およびそのグループ会社に営業譲渡を行なう予定。
また併せて、連結子会社であるニツセキ開発(株)(東京都港区、社長:神農雅嗣氏)の同社保有全株式を(株)マキテックおよび(株)デ・リードコーポレーション(京都市下京区、社長:神農雅嗣氏)に譲渡することを決議し、同日契約を締結したと発表した。
同社では、民事再生手続き開始による影響がマンションの分譲、開発等の事業を手がけてきたに当該子会社にもおよぶものと鑑み、株式譲渡を決定した。しかしながら当該子会社と同社との間には、直接事業上のつながりはないため、今回の株式売却による同社および関連会社の業務および民事再生手続に何ら支障は生じないとしている。
異動前の同社所有株式は1,900株で、10月30日付けでマキテックおよびデ・リードコーポレーションにそれぞれ950株譲渡する。
【関連記事】
第一勧銀と小野グループ〜その1