第一勧銀は第一銀系グループと勧銀系の勧銀十五社会などの企業と親密ですが、資本の繋がりは表上はないものの、親密にしている企業があります。
それが小野グループです。
小野グループは福井市と東京都港区高輪を拠点としており、M&Aで会社を増やしていったのですが、小野光太郎代表の雑誌インタビューを読んだところ、自分からは動かず、銀行のほうがもっぱら買収企業を斡旋してきた、とのことです。
小野グループに属する企業は多いのですが、第1回目は第一勧銀から役員が多く赴いたニツセキハウス工業について分析してみます。
ニツセキハウス工業の再建を小野グループが第一勧銀から要請されたのは、1997年1月です。
この頃には東京地検特捜部の動きに関する情報は、既に第一勧銀に入っていた可能性も否めません。
■ニツセキハウス工業(株)
1994年10月25日-中央区日本橋小伝馬町1-4から渋谷区恵比寿4-20-3に移転
※小伝馬町ビルの現オーナーは日本土地建物の持分法適用関連会社である日新建物
※恵比寿住所は恵比寿ガーデンプレイスで同年10月8日にグランドオープンしたばかり
※恵比寿ガーデンプレイスはサッポロビールの関連会社
1996年12月-堀内三郎社長失踪
1997年1月-第一勧銀、小野グループに再建を要請
1997年6月27日-小野グループのメンバーが役員に就任
1999年8月7日-東京都港区高輪2-15-21に移転
※小野グループの東京本拠地ビル。同ビル(高輪ビル)の現オーナーは日新建物
2002年10月30日-東京都港区六本木5-13-12に移転
2002年10月30日-壽工業とともに民事再生法適用申請
2002年12月2日-(株)セレコーポレーション(東京都港区)真木伸一社長に譲渡
2004年3月31日-株主総会決議により解散
1997年6月頃は、総会屋利益供与事件で、第一勧銀自体の役員人事が大きく動いた時期です。
第一勧銀はこの頃を前後して役員が大き入れ替わります。
1997年6月27日の、ニツセキハウス工業での第一勧銀出身役員の交代は次のとおりです。
退任 | 就任 |
杉本隆代表取締役 斎藤紀一取締役 濱中勇蔵監査役 |
菅原敏行代表取締役 古市宏幸取締役 千村恒人取締役 平山忠文監査役 |
※赤字の役員は日宝販およびハーデス・グループの役員経験者。在任期間については次のとおり。
役員 | 会社名 | 在任期間 |
千村恒人代表取締役 | (株)日宝販 | 1995年6月27日-1997年4月4日 |
千村恒人取締役 | (株)日宝販 | 1995年6月27日-2000年6月30日 |
千村恒人代表取締役 | (株)日宝業務センター | 1995年6月27日-1997年4月4日 |
千村恒人代表取締役 | 宝成不動産(株) | 未詳-1997年4月4日 |
杉本隆代表取締役 | (株)タカラパック ※旧(株)日宝業務センター |
2000年9月22日〜2001年6月25日 |
杉本隆取締役 | 日本ハーデス(株) | 2000年12月18日-2001年6月25日 |
杉本隆取締役 | (株)クロノス 旧(株)日宝販 |
2001年6月25日-2002年3月22日 |
杉本隆代表取締役 | (株)企画研究所 | 2001年6月25日-2003年6月30日 |
杉本隆監査役 | 日本ハーデス(株) | 2003年6月30日-2004年6月28日 |
平山忠文監査役 | (株)HIT | 2008年6月27日-2009年6月26日 |
平山忠文監査役 | (株)ソシエテアクセプタンス | 2007年6月29日-2012年6月29日 |
千村氏は日宝販、日宝業務センター代表取締役を辞めてから、ニツセキハウス工業に小野グループと一緒に入り、逆に杉本氏はニツセキハウス工業を辞めてしばらくしてから、日宝販、日宝業務センターの後継となるクロノス、タカラパックに入っています。
このように小野グループの特徴は、宝くじ関連会社の役員とコネクションがある点です。