80-衆-ロッキード問題に関する…-6号

日本政治

80-衆-ロッキード問題に関する…-6号 昭和52(1977)年4月13日

横路委員-横路孝弘
中曽根証人-中曽根康弘

横路委員 コーチャン回想録の中曽根さんの名前が出てくる部分ですね、これは昭和四十七年の十月五日でありまして、この中では、トライスター売り込み中のロッキードのコーチャン氏のところに、小佐野賢治からの情報だということで、日本航空がトライスターを入れる、全日空はDC10に決まったぞ、こういう話が伝えられるわけです。当時、日本航空も全日空もエアバスを購入するということで動いていたわけですけれども、機数が違うわけですね。全日空の方はたくさん必要なわけです。日本航空ですとせいぜい五、六機ということでしょうか。そこで、これでは大変だということで、その話を壊さなければならぬということで工作を開始して、四十七年、あなたは通産大臣をやっておられたのですが、児玉譽士夫のところに夜の八時過ぎに訪問する、塚本素山ビルの事務所へ行って、そこからこの話は始まるわけでありますが、この塚本素山ビルというのはあなたは御存じでしょうか。

中曽根証人 ビルのあることは知っていますが、事務所へ行ったこともなければ、どこにあるかということもよく知りません。

横路委員 この事務所の中に先ほど来名前の出ています太刀川恒夫がおって、そして児玉の指示であなたに電話をした、こういうことになったわけですが、この四十七年の十月五日の夜の八時過ぎは、あなたはお宅におられたのでしょうか。自宅の方におられたのですか。

中曽根証人 あのときの記憶をたどってみますと、それから新聞であの当時の閣議や日程等調べてみまして記憶を呼び起こしてみますと、たしか十月五日は、新
潟県で中小企業の全国大会がありまして、朝早くそこへ行って、そしてたしか七時四十九分とかという着で東京へ帰ってきて、それからたしか目白の自宅へ帰っ
たのではないかと思います。三、四十分かかるだろうと思います。
 電話があったことはございません。

横路委員 質問に答えていただかなくては……。
 夜の八時過ぎには自宅におったのですね。

中曽根証人 自宅におったと思います。

横路委員 この塚本素山ビルの事務所ですね、あなたに電話をかけたところ、全く知らないという話ですけれども、ここにいま日本国土開発研究所という、あなたが常務理事をしている法人が、ここはもういま児玉譽士夫は事務所を払っているようでありますが、何かその払った跡に入っておられて、その団体にあなたが関係しておるということですが、本当に御存じございませんか。

中曽根証人 その国土開発研究所というのは、高碕先生が生きておられるころ、また河野先生が生きておられるころ、河野先生が建設大臣になって国土開発研究をやろうというのでおつくりになって、根本龍太郎氏が中心になってやって、私とか、たしか大平さんとか、大ぜい名前を出しておると思います。私もその中に名前を出しております。
 その事務所はたしか
小松ビルにあったという記憶で、小松ビルの理事会に出たことはございますが、塚本素山ビルに移ったというようなことは最近聞きました。

タイトルとURLをコピーしました