松前重義
松前重義(まつまえ しげよし、1901年(明治34年)10月24日 – 1991年(平成3年)8月25日)は、日本の官僚・政治家・科学者・教育者・工学博士。東海大学創立者。日本社会党衆議院議員。内村鑑三に師事した。日ソ交流を進めた。世界連邦建設同盟(現、世界連邦運動協会)会長。
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戦後、逓信院総裁に就任するが1946年4月辞任。同年9月公職追放。追放解除後、1952年の総選挙で日本社会党右派から衆議院議員に初当選(以後6回当選)。自ら注力した日本初のFM放送局・FM東海(現・エフエム東京)の処遇を巡っては、郵政省と訴訟を展開した。
1966年、ソ連政府の提案によるソ連・東欧との交流組織「日本対外文化協会(対文協)」を石原萠記、松井政吉らとともに設立し、会長を務めた。
日ソ交流では、ソ連初の野球場モスクワ大学松前重義記念スタジアムの建設に尽力するなど、国際交流事業にも投資を行い、各国の政府機関や大学から勲章や名誉博士号を受けた。
松前一族
長男の松前達郎は元参議院議員で、東海大学総長。二男の松前紀男は元東海大学長、三男の松前仰は元衆議院議員で北海道東海大学長を務めた。更に達郎の長男・松前義昭が東海大学副理事長、副総長を務め、大学運営には松前家が深く関わっている。