TOKYO MXへのスポンサー社長が宣言「報ステを潰しにいきます」

フリーメイソン

TOKYO MXへのスポンサー社長が宣言「報ステを潰しにいきます」
2016年3月31日-livedoor NEWS

■考察

(株)DHCシアター→共同通信会館
浜田麻記子濱田麻記子)社長

■役員抜粋
代表取締役会長:吉田嘉明:(株)ディーエイチシー 代表取締役
代表取締役社長:濱田麻記子浜田卓二郎弁護士の妻
監査役:神部健一:弁護士(公認会計士)

東京メトロポリタンテレビジョン(株)→ロシア(赤)寄りBチーム

●「日本に君臨するもの〜フリーメーソン日本ロッジ幹部の証言」高崎廣著

144pより

 そういえば昭和50年(1975)ごろには、あの浜田卓二郎さん夫婦も水交社ビルに住んでいた。まき子さんと結婚して、新婚生活をあのビルで過ごしたんですよ。まだ代議士に出馬する前の大蔵官僚時代のことです。
 
彼は植竹春彦元内務大臣との縁でメーソンに入会していたはずです。近年、政治家でメンバーになっていたのは、あのハマタクさんくらいでしょう。

■ビギニング・オブ・フリーメイソン&森ビル ストーリー

水交社(2016年1月25日 (月) 07:51 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』

水交社(すいこうしゃ)とは、1876年(明治9年)3月21日に海軍省の外郭団体として創設された日本海軍将校の親睦・研究団体である。名称の由来は『荘子』の「君子之交淡若水」から採用命名された。総裁は海軍将官の現役皇族、社長は現任海軍大臣の兼務であった。

……
水交社本部ビル
山本五十六の葬儀は麻布飯倉町の水交社で行なわれた。1943年(昭和18年)6月に行われた山本五十六元帥の国葬の列は、麻布飯倉町2丁目交差点近くの「水交社本部ビル」から出発した。

敗戦後の水交社解散後に、空襲から焼け残り空家となった、大きな白い建物であった「水交社本部ビル」は米軍に接収され、米軍関係者のサロンや宿舎に使用された。後に米軍は日本政府へ、「旧日本海軍の水交社を返還する」と通告した。しかし、「水交社本部ビル」が使われなくなっても返還されず、その代わり、占領軍のフリーメイソンによって占拠され、入り口には「メソニック・ビル」の表示が掲げられた

1949年(昭和24年)暮れに接収が解除された後、1950年(昭和25年)6月に、国(占領下の日本政府の大蔵省)から、土地、建物とも、最低価格の8千万円で優先的に、「宗教法人東京メソニックロッジ協会」(財団法人東京メソニック協会の前身、現・一般財団法人メイスン財団)に払い下げられ、8月には所有権取得登記が行われた。屋上にコンパスと直角定規の大きなシンボルマークが掲げられた時期もあった。

「メソニック・ビル」には、日本のフリーメイソンの中核となる「日本グランド・ロッジ」(1957年(昭和37年)3月設立)が入居していた。現在の黒くて低層の「東京メソニックビル」(東京メソニックセンター、地上2階 地下2階)は1981年(昭和56年)5月に定礎されて(定礎式が行われた年か竣工年かは不明)建て替えられたものだが、一室には水交社時代の応接室が再現されている。

現在の「東京メソニックビル」内には、日本のフリーメイソンの中枢が集まっており、「日本グランド・ロッジ」の他、いくつかのブルーロッジ、リサーチ・ロッジやアメリカ管轄のロッジも含め、事務所が割当てられており、秘書業務・財務業務が行われている。また、付帯組織である「ヨーク・ライト」(York Rite)や「」スコティッシュ・ライト(Scottish Rite)も事務所を構えている。地上1階はエントランスだけで何もない。地上2Fには「日本グランドロッジ」や「ヨーク・ライト」や「スコティッシュ・ライト」などのオフィスやライブラリがあり、地下1Fには各ロッジのオフィスがある。地下2Fにはブルーロッジやスコティッシュ・ライトホールやダイニングホールやキッチンがある。

まあ、テレ朝も森ビルのハココネですからw

第二次世界大戦→海軍はワシントン側フリーメイソンなんでしょうなあ。

中国に行った陸軍が中国側英国系フリーメイソンだったのが、海軍に唆されて太平洋まで出張ってバンバン殺されたと。

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