●星島二郎(2016年1月16日 (土) 14:57 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』
星島二郎(ほしじま にろう、明治20年(1887年)11月6日 – 昭和55年(1980年)1月3日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員。元衆議院議長。従二位勲一等旭日桐花大綬章。 |
●日本のフリーメイソンリー(2016年3月25日 (金) 07:14 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』
第二次世界大戦後のロッジ再建 1945年、日本の敗戦で第二次世界大戦が終わると、1946年よりロッジの再建が始まった。そして、1950年1月5日、佐藤尚武(外交官・政治家)、植原悦二郎(政治家)、三島通陽(作家・政治家)、高橋龍太郎(実業家・政治家)、芝均平(ジャーナリスト、元ジャパンタイムズ編集局長)らが、初めての日本における日本人会員となった。この時点で日本のロッジはフィリピン・グランド・ロッジの傘下にあり、フィリピンの対日感情は最悪だった。4月8日フィリピン代表のマウロ・バラディが来日し、「世界平和のために、日本人を兄弟として握手しようと決心し、過去の罪を許してメイソンとして迎えるべく決意した」と演説した。星島二郎はこれに応え、国会にフィリピンに対する謝罪決議を提出し、全会一致で可決させたという。1950年は国会議員5人他、合計7人の日本人が入会した。 |
●アジアとの和解(MRA国際移動学校同窓会)
昭和32年(1957)の春、バギオで開催が計画されていたMRAの会議に、日本人の参加が特に容認されることとなった。残念なことに大統領はこの集会の直前に航空機事故で急逝し、会議にはそのあとを受けて急遽就任したカルロス・ガルシア大統領が出席することとなった。 |
■1951年MRA世界大会参加者
アメリカミシガン州マキノ島で開催
6月1日から12日までフィリピン航空で渡航
32 ヶ国1683 名参加
日本から50名が参加