金日成はフリーメイソン?

北朝鮮

えっ! マジすか?

昭和54年2月28日の国会で中山正暉議員が次のように発言しています。

実際はどうなんでしょうね?

中山正暉委員 いまおっしゃったように、私はいまの状況を見ておりまして、中国との条約を結んだら途端に、朝日新聞、読売新聞その他いろいろなところに、択捉島に基地があるという記事がぱあっと急に載り出しました。あんなものは一日や二日でできたものでないのに、突然載り出したのは何かというと、日本に有事立法がない、有事立法がないからどうするか。有事立法がないから、それじゃソ連が攻めてくる。いや、それじゃそのこわいソ連と条約を結ぼう、ここへ入ってくると思うのです。
そうするとそのときに北方領土、平和条約でないと結ばないといういまの外務大臣のお話の勢力が崩れていって、そうではない、善隣修好条約でいいじゃないか、こういう、もう大阪、東京では大体中道政治が中心になって知事選挙でも始めたのを見てみますと、大体中道ラインに入ってくる。特に公明党が善隣修好でいいじゃないかというような話をなさっておられますから、その方向にこれから入ってくる。そうすると中国と条約を結んで、仲の悪いソ連と結んだから、これは両方入りなさい。北朝鮮も入りなさい、韓国も入りなさい、台湾も何ならしばらく入りなさい、日本も入りなさい、それがひっくるめて環太平洋条約というものになってくるのではないか。
そのときに、それじゃ日米単独安保は切りなさい。特に私は、共産党のないアメリカが、ロッキード、グラマンという事件の裏側の話を、どんどん共産党の入国を許して、それに秘密文書を渡して、日本の国会でそれをもめさせろと言っている状況を見ておりますと、その辺にも行っていらっしゃった方がおられますけれども、どうもこの傾向は日本から安保条約を切るような方向、特にきょうの朝日新聞の中にもおもしろい記事が出ております。
私ときどきユダヤ問題をやります。私はユダヤ人に敵対しているのだなんということを、朝日新聞が反ユダヤ主義と私のことを書いたことがございますが、私はそんな気持ちはありません。世界を平和にするために、その手のうちを早く教えてほしい。きょうの朝日新聞にも「イランで暴露元首相ら一二〇〇人がフリーメーソン」とこう書いてあります。四代にわたる総理大臣がフリーメーソンというのですが、私はここに朝鮮画報からとりました写真を見ましても、金日成の机の上に、いわゆるイスラエルの象徴であるメノーラが、メノーラというのは七本のろうそく台でございますが、これが置いてあります。ですからそういういろいろな謀略、もう私は大きな戦争はないと思います。政治をひっくり返して取るというような方向に入ってくるのだろうと思いますが、そんな中で、もう時間がありませんので打ち切りますが、これからの政治の向かう方向の中で、環太平洋条約というお言葉が総理大臣からどんどん出てまいりますので、その方向をひとつしっかりと、はっきりといまから示しておいていただきたい

メノーラー(2018年6月3日 (日) 03:18 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』

早くからユダヤ教の象徴的存在となり、シナゴーグの床におけるモザイク(エリコのシナゴーグが有名)、柱頭、石棺、その他の器具に模様が描かれるようになった。
ローマに残るティトゥスの凱旋門には、エルサレムの破壊の際にエルサレム神殿からローマ兵がメノーラーなど多数の戦利品を運び出す画面が薄浮き彫りで描かれている。この浮き彫りのメノーラーは、エルサレムの受難の象徴となり、後にはイスラエルの国章にも採用されている。

ちなみに中山正暉議員ご長男の中山泰秀議員は

日本・イスラエル友好議員連盟(事務局長)だそうです。

共産主義の代表歌である「インターナショナル」も

フリーメイソンと関係があるみたいなので、興味深いですね。

2月1日:共産圏も国際がキーワードとか

合唱「インターナショナル」(합창 «인터나쇼날»)

インターナショナル (歌)(2016年7月25日 (月) 08:16 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』

「インターナショナル」(英語: The Internationale)は、社会主義・共産主義を代表する曲である。ソビエト連邦では十月革命(1917年)から第二次世界大戦(1944年)まで国歌になっていたほか、日本でも労働歌として歌われていた。

……

「インターナショナル」の誕生

「インターナショナル」は19世紀末フランスのパリ・コミューン(1871年)の直後に「L’Internationale」として誕生した。作詞者はパリ・コミューンに参加していたウジェーヌ・ポティエ(1816 – 1887)である。パリ・コミューンは1871年5月末に多数の犠牲者を出して鎮圧されると、直後の6月にポティエは詩「インターナショナル」を発表した。

ウジェーヌ・ポティエ(2013年3月20日 (水) 02:33 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』

ウジェーヌ・ポティエ(1816年10月4日 – 1887年11月6日)はフランス・パリ出身の詩人、革命家。革命歌『インターナショナル』の作詞で知られる。

……
1870年にプロイセン軍によりパリが包囲されると、国民軍(当時の民兵組織)の一員として戦闘に参加。1871年のパリ・コミューンにも積極的に関与し、パリ2区代議員に選出され、公役務委員会の議長を務めた。血の1週間の戦闘にも参加した。1871年6月、パリで逃避行を重ねながら詩『インターナショナル』を完成させた。イングランドに亡命。1873年5月17日、欠席裁判で死刑判決を受けた。その後亡命先をアメリカ合衆国に移し、国外追放になったパリ・コミューン参加者たちの連帯運動を組織した。同地でフリーメイソンに加入。また社会主義労働党にも参加した。

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