長野県閥研究その2

人脈・コネクション

中曽根内閣より長野県閥を調査

第1次中曽根内閣/1982年(昭和57年)11月27日 – 1983年(昭和58年)12月27日
内閣官房副長官(事務) – 藤森昭一

第2次中曽根内閣/1983年(昭和58年)12月27日 – 1984年(昭和59年)11月1日
内閣官房副長官(事務) – 藤森昭一
自治政務次官 – 伊藤公介

第2次中曽根内閣 (第1次改造)/1984年(昭和59年)11月1日 – 1985年(昭和60年)12月28日
内閣官房副長官(事務)- 藤森昭一

第2次中曽根内閣 (第2次改造)/1985年(昭和60年)12月28日 – 1986年(昭和61年)7月22日
厚生大臣 – 今井勇
農林水産大臣 – 羽田孜
内閣官房副長官(事務)- 藤森昭一
建設政務次官 – 中島衛

第3次中曽根内閣/1986年(昭和61年)7月22日 – 1987年(昭和62年)11月6日
内閣官房副長官(事務)- 藤森昭一

藤森昭一氏–wikiより
藤森 昭一(ふじもり しょういち、1926年(昭和元年)12月26日 – )は、日本の官僚。長野県出身。内閣官房副長官、宮内庁長官日本赤十字社社長などを歴任。勲等は勲一等旭日大綬章。日本赤十字社名誉社長。

伊藤公介氏–wikiより
伊藤 公介(いとう こうすけ、1941年10月23日 – )は、長野県上伊那郡高遠町(現・伊那市)出身の政治家、実業家。

生い立ち
伊藤泰郎(武蔵工業大学元教授)の実弟。

長野県伊那北高等学校卒。法政大学法学部在学中にスポンサーを募ってヨーロッパを取材旅行し、帰国後紀行文を出版して得た資金を基に、オハイオ州立大学に語学留学。1967年から神田外語学院の講師になったが、政治家志望を実現するため同郷の自由民主党代議士向山一人(伊那毎日新聞創業者)を頼り、1969年に向山が経営する興亜電工に入社向山の個人秘書に採用される。

元秘書
鈴木邦彦 (政治家) – 元多摩市議、元多摩市長
小川友一 – 元日野市議会議長、元衆議院議員
柴野たいぞう – 元衆議院議員

■参考記事
耐震強度偽装、上伊那森派人脈に重なるのは偶然か(加藤学(衆議院議員)blog)

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