ライフコーポレーションを分析

企業データ

(株)ライフコーポレーション

■所在地
登記本店:東京都中央区日本橋本町2-6-3→小津ビル1F=日韓協力委員会
大阪本社:大阪市東淀川区東中島1-19-4→(財)国策研究会・関西支局

Kokusaku

東京本社:東京都台東区台東1-2-16→MCJの近く

Lifetokyo

■大株主抜粋
清信興産(株)→千代田区永田町2-9-3の住所の方は→暉青物産(有)住所
※清水家資産管理会社
(財)ライフスポーツ振興財団
→役員抜粋
名誉会長(理事):清水三夫-(株)ライフフーズ社長
理事長:清水 進-(株)商船三井 九州支店長
理事:塩川正十郎-元財務大臣
理事:四方 修-(株)四方事業ファンド社長
評議員:廣井智之-日本流通産業(株) 専務

■役員
清水信次代表取締役会長兼CEO
・(財)小林国際都市政策研究財団理事→松久と流通株買い占め人脈参照
(財)国策研究会常任理事(元会長)(財)国策研究会参照
日本流通産業(株)代表取締役会長

同氏wikiより
清水 信次(しみず のぶつぐ、1926年4月18日 – )は、日本の実業家である。株式会社ライフコーポレーション代表取締役会長兼CEO(最高経営責任者)。日本スーパーマーケット協会会長。

人物
三重県
津市生まれ。旧制大阪貿易語学校(現在の開明中学校・高等学校)卒業。
食品スーパーマーケット「ライフ」を興し、売上高4,700億円という日本最大の食品スーパーマーケットチェーンを一代で築いた。中内功・鈴木敏文・岡田卓也らとともに戦後の流通業界を牽引した人物であり、現在も業界の重鎮として知られており、新聞・雑誌に多数登場。講演活動も行い、数多くの提言・発言を行っている。

生い立ち
学校を卒業した翌年である1944年(昭和19年)、陸軍に入隊して中国に出征した。
このときの戦友には、後に不動産会社・秀和を起こしてバブル期には世界有数の富豪となった実業家、小林茂がいた。小林との関係は小林が2011年(平成23年)に死亡するまで続き、秀和が1980年代後半に行った流通株買占めの背景にも清水と小林との関係が関与した

貿易関連事業
1950年(昭和25年)、朝鮮戦争が始まると、貿易の増加による物流需要の拡大を予測し単身上京。パイナップルやバナナの輸入業で利益を上げ、「パインちゃん」の異名をとる。又この仕事を通じて
蓮舫の父で台湾人バナナ貿易商を営んでいた謝哲信と知り合い、家族ぐるみの交友を深めた。現在も台湾財界人に知己が多い。

国政への意欲
2001年(平成13年)、自由党党首(当時)
小沢一郎の要請を受け、「最後のご奉公」と第19回参議院議員通常選挙に自由党候補として比例代表区から立候補した。結果は落選であったが、自由党第4位として当選した大江康弘(得票4,3801)とは僅差の第5位(43,027票)の次点であった。

戦争体験とアジア観
清水は、折に触れて自身の戦争体験を語っている。
天皇・総理大臣・閣僚らの靖国神社公式参拝を求めており、これを非難する中国・韓国・北朝鮮に対し「外国にとやかく言われる筋合いは無い」と反発していた。ただしその後、著書『さらばアメリカ』においては中曽根政権時からの靖国参拝について批判的に書いている。
また、長らく台湾財界人との交流があり、台湾を支持していたが、近年は台湾への言及は無く、もっぱら中華人民共和国への言動が目立つ。
清水は
岸信介が昭和四十四年に創立した日韓協力委員会の理事長を設立当初より続けている。2009年(平成21年)6月には、韓国政府から修交勲章光化章を受章した。 さらに、長年幹部を務める日韓協力委員会に比する団体として、日中協力委員会設立に向け2007年(平成19年)8月以来、当日の中国の王毅駐日大使と会談を重ね、日本と中国の協力団体設立を実現する方向で約束をしたことを著書で述べている。また、日中協力委員会の設立はに残りの人生すべてを賭ける覚悟とも述べた。

■考察
津市、台湾という第一勧銀宝くじ関係者に通じるキーワードが2つ。
小沢一郎議員→第2次中曽根内閣・自治大臣・国家公安委員会委員長で捉えればOK。
清水信次氏が代表取締役会長を務める日本流通産業(ニチリウ)のほうが、展開が色々あります。
それは、また別途。

日韓協力委員会「日韓協力委員会創立40周年記念レセプション」開催
※会長=中曽根康弘元総理→役員名簿

■つぶやき
日韓協力委員会役員の役員面子を見て、前原氏の立ち位置がわかった様な。
糺の森の財団でも名前出てるし。

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