斉藤斗志二(さいとう としつぐ、1944年12月27日 – )は、日本の政治家。 麹町中学校・武蔵高等学校を経て、1968年(昭和43年)に上智大学経済学部を卒業。1969年(昭和44年)早稲田大学理工学部研修終了。1972年(昭和47年)ワシントン大学でMBAを取得。 1984年(昭和59年)には第33代日本青年会議所会頭に就任した。同会頭就任時には第2次中曽根内閣の臨時教育審議会委員を務め、現行の小学校6年生を中学校1年生とし、早熟な今時の子どもの発育状況に合わせ、中学校の在学期間を延長し中等教育を充実させることを目的とした学制改革案5・4制を提唱した。現在も5・4制は主張し続けている。また、このころよりロシア外交に興味を持ち、両国の友情を描いたアニメーション映画『幕末のスパシーボ』の自費制作や渡航を頻繁に行っている。 斉藤斗志二は増岡博之の長女と結婚しているが、増岡の次女は三菱鉛筆社長の数原英一郎と結婚しているので、斉藤斗志二と数原英一郎は義兄弟の関係にあたる。 |