【wiki拾い読み】伍堂卓雄

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伍堂卓雄

伍堂卓雄(ごどう たくお、明治10年(1877年)9月23日 – 昭和31年(1956年)4月7日)は、日本の政治家、実業家、海軍造兵中将。東京府士族。正三位。工学博士。
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当時まだ満州にあった岸信介を商工次官への起用を、前任次官の村瀬直養の強い反対を押し切って決定した。昭和17年(1942年)には日本能率協会会長、昭和20年(1945年)には軍需省顧問に就任している。

戦後A級戦犯容疑で一時巣鴨プリズンに拘留されるが、間もなく釈放され後に日本能率協会会長に復帰した。

商工省

歴代の商工大臣等

14代 伍堂卓雄 林内閣 1937年2月2日-1937年6月4日
鉄道大臣を兼任
18代 伍堂卓雄 阿部内閣 1939年8月30日-1939年10月16日
農林大臣による兼任
19代 伍堂卓雄 阿部内閣 1939年10月16日-1940年1月16日
24代 岸信介 東條内閣 1941年10月18日-1943年10月8日
国務大臣
商工次官
岸信介 東條内閣 1943年10月8日-1943年11月1日

軍需省

軍需次官

岸信介 1943年11月1日-1944年7月22日
椎名悦三郎 1944年7月23日-1944年7月28日
竹内可吉 1944年7月28日-1945年4月10日
椎名悦三郎 1945年4月10日-1945年8月25日

伍堂輝雄

日本有数の閨閥地図を作り上げたともいわれた“永野六兄弟”の五男。弁護士だった永野法城が実父だが、海軍中将だった伍堂卓雄に養子入りした。運輸大臣を務めた永野護と新日本製鐵会長及び日本商工会議所会頭を務めた永野重雄、五洋建設会長を務めた永野俊雄は実兄。参議院議員を務めた永野鎮雄と石川島播磨重工(現IHI)会長を務めた永野治は実弟である。また、広島県知事を務めた永野厳雄、三菱マテリアル社長及び日経連会長を務めた永野健、大同鋼板社長を務めた永野辰雄は甥となる。

堀川辰吉郎

その後、奉天の世界紅卍字会の会長に推され、日本の軍閥と争いつつ日中平和に貢献。
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正妻は九州の炭鉱王貝島太助の娘。女婿には新日本製鉄会長永野重雄の長男らがいる。

永野辰雄:大同鋼板(現・日鉄住金鋼板)会長・社長、新日鉄常務/永野重雄長男

■考察
オムロンといえば、ダイコク電機も関係が。

●「ハングリー・ハート: 栢森家の系譜―ダイコク電機のルーツ」より

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