【wiki拾い読み】葦津珍彦

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葦津珍彦(2015年4月19日 (日) 13:40 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』

葦津珍彦(あしづ うずひこ、1909年(明治42年)7月17日 – 1992年(平成4年)6月10日)は、日本の神道家、保守系思想家。民族派の論客としても著名であった。

経歴
葦津耕次郎の長男として福岡県に生れる。名の珍彦は記紀に登場する日本の神である椎根津彦の別名。葦津家は筑前筥崎宮の社家のひとつで、大正年代には
赤坂霊南坂の頭山満の隣家に住み、頭山をはじめ玄洋社社員と交友があった
……
戦後直ぐ会社を解散し吉田茂(内務省出身)、宮川宗徳(のち本庁事務総長)や、徳川宗敬(のち本庁統理)らを補佐し、
神社本庁の設立に尽力し、さらに本庁の教学広報の一環として『神社新報』が創刊されると、主筆と共に発行母体の神社新報社の経営も引き受けた

1968年(昭和43年)の退職後も執筆活動や後学の指導にあたり、国体護持・神社護持運動の最前線にあって、神道界や民族派運動(日本青年協議会・日本を守る国民会議など)に大きな影響を与え続けた。

葦津泰國 (株)神社新報社 社友
元(財)国民精神研修財団 理事→ヴェールヴァリエ北参道
元(公財)昭和聖徳記念財団 理事
葦津敬之 宗像大社 宮司
神社本庁 広報部長/元財政部長
元 全国神社厚生年金基金 監事 ※神社本庁 財政部長時
元(社)日本国際青年文化協会 理事→ヴェールヴァリエ北参道
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