フィリピン、バギオのフリーメイソン・ロッジと日本軍

フリーメイソン

フィリピンのバギオにあるフリーメイソン・ロッジのロケーション

日本占領下のフィリピン・バギオ市 - フィリピン大学バギオ校公開講座
2013年9月13日-高原都市バギオ。 雲にのって、心のままに・・・

バギオの日本軍・軍政部。 メソニック・テンプルに在ったとの話でしたが、場所が分りません。

バギオ方面軍状況視察の本間軍司令官閣下の写真を参照

本間雅晴(2017年5月18日 (木) 02:17 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』

本間雅晴(ほんま まさはる、1887年(明治20年)11月27日 – 1946年(昭和21年)4月3日)は、日本の陸軍軍人。陸士19期、陸大27期(優等)。最終階級は陸軍中将。栄典は従三位勲一等。
太平洋戦争(大東亜戦争)においてフィリピン攻略戦を指揮した。英国通の人道主義者であったことは米軍にも知られているものの、戦後はバターン死の行進における部下の行為の責任を問われて処刑された。

バギオ歴史探訪シリーズ (9) 追加情報  市役所周辺
バギオの北ルソン日本人会 JANL

日本の「軍政監部」は 現在の Baguio Central School にあったとのことです。
(軍政監部は、軍政部とも呼ばれ、軍事組織の下に行政をおこなう機関だったそうです。)

写真を見ると、「比島軍政監部北部呂宋支部」はBaguio Central Schoolにあったようだ。
「フィリピン大学バギオ校公開講座」の本間軍司令官が1942年6月20日に訪れた建物の看板は「大日本軍政部」になっており、バギオ・セントラル・スクールとは外観が異なる。


BAGUIO LODGE No. 67: History of Baguio Lodge

The Lodge Temple was burned in the liberation carpet bombing of the American forces on March 15, 1945 and as the building association was not reconstituted and no war damages received, nor payments made on the mortgage, it was later foreclosed by the estate of Joseph Rice, the mortgagee.

1945年3月15日の米軍による絨毯爆撃でかつてのメソニック・テンプルは焼失したようだ。

現在のバギオにあるフリーメイソン・ロッジの場所

Baguio Lodge No. 67
180 Yandoc St. Baguio City 2600

地図上はバギオ・セントラル・スクールと同じ通りに面しているようである。

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