三木武夫(2016年7月24日 (日) 02:29 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』

三木武夫(みき たけお、1907年(明治40年)3月17日 - 1988年(昭和63年)11月14日)は、徳島県出身の日本の政治家である。
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結婚と森コンツェルン
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三木を岩瀬と引き合わせたのは結城豊太郎であったとされる。結城は森矗昶を総帥とする新興の森コンツェルンと関係があり、岩瀬は森矗昶の実弟であった。三木は結城、そして岩瀬との繋がりでしばしば森家に出入りしていたが、そのような中で1940年(昭和15年)6月初め頃に森矗昶の次女である睦子との結婚話が持ち上がり、6月26日には正式に結婚する。新進代議士三木とと森コンツェルン総帥令嬢との結婚は政財界の注目を集め、結婚式は当時日本銀行総裁を務めていた結城が仲人となり、東京會舘で政財界の要人らを招いて盛大に行われた。
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翼賛選挙後の三木
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1943年(昭和18年)11月からは商工省から改組された
軍需省委員を引き続き務め、1944年(昭和19年)6月には各省の委員制は廃止となるが、1945年(昭和20年)5月15日、鈴木貫太郎内閣において軍需参与官に任命された。
三木は1943年(昭和18年)2月、第81帝国議会において、大東亜共栄圏で計画交易を管轄する団体である
交易営団に関する「交易営団法案」について、衆議院本会議、石油専売法案外二件委員会で質疑を行った。質疑の中で三木は官僚のセクショナリズムを批判した上で、大戦遂行のために日本主導の大東亜共栄圏内の計画交易促進を支持した。そして日本の利益ばかりではなく、大東亜共栄圏では日本以外の国の発展にも配慮した総合的な施策が必要であると主張した。

朝鮮総連と三木武夫夫人

★(一社)中央政策研究所

■つぶやき
ここにも森……。森といえば。