横浜ベイスターズ

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横浜ベイスターズ–wiki
元は林兼商店(後の大洋漁業、現・マルハニチロ水産)の実業団チーム。

2002年
1月26日に親会社(筆頭株主)がマルハからニッポン放送に変更する予定だったが、当時ニッポン放送の関連会社だったフジテレビがヤクルト球団株を20%強保有していたため、一転してTBS(東京放送)への移行がプロ野球オーナー会議で承認され、球団オーナーが当時のTBS社長砂原幸雄となった(詳細は筆頭株主交代の節を参照)。TBSがスポーツ団体の経営をするのは国際プロレス以来である。これに際し、1978年以降ニッポン放送に独占中継権を押さえられていたため喪失していたTBSラジオの中継権が復活。

2010年
9月30日、TBSHDが保有している横浜ベイスターズの株式を住生活グループとの間で売却交渉を進めている旨がメディアで報じられ、10月5日になって住生活グループ幹部がTBSHDとの交渉の事実を認めた。球団も10月4日に若林オーナー(東京放送副社長)が交渉に関し“大筋で合意しており10月中に正式決定”とコメントしていたが、実際の交渉は難航。結局10月下旬、TBSHDは住生活グループとの交渉を打ち切り、同月27日TBSHDが2011年度も球団を保有することを発表するに至った。

■メモ
(株)マルハニチロホールディングス筆頭株主→大東通商株式会社

中部慶次郎氏–wiki
中部 慶次郎(なかべ けいじろう、1933年2月23日 – 2007年9月17日)は、日本の実業家。マルハ(現・マルハニチロ水産)元会長、プロ野球球団・横浜ベイスターズ元オーナー。山口県下関市出身。慶應義塾大学経済学部卒業。

来歴・人物
林兼商店(1943年に大洋漁業に改称)常務だった中部謙吉の四男として出生。祖父はマルハの礎を築いた中部幾次郎。長兄の中部新次郎は横浜大洋ホエールズオーナー、次兄の中部謙次郎は幾徳学園理事長、三兄の中部藤次郎は大洋漁業社長をそれぞれ務めた。末弟の
中部謙はマルハ常務を経て、マルハニチロホールディングス副社長を務めた。

大学卒業後の1955年、父・謙吉が社長を務める大洋漁業に入社。1963年大東通商常務取締役、1976年大東通商代表取締役社長。1987年兄・藤次郎の社長在職中死去を受け大洋漁業代表取締役副社長に就任、1989年大洋漁業代表取締役社長に就任。1993年には社名をマルハと改名した。

また、1990年3月からは横浜大洋ホエールズのオーナーに就任。1992年11月からは地域密着を深め、独立採算制を進めるため球団名から企業名を外し、横浜ベイスターズにチーム名を変更。ベイスターズとしての初代オーナーとなったが、2002年親会社のマルハの業績不振のため、持っていた球団株を全て東京放送(TBS、現・東京放送ホールディングス)、BS-i(現・BS-TBS)に譲渡し、球団を手放すことになった。

■人脈考察
A)マルハニチロホールディングス→光陽ホールディングス・アドバイザリーボードメンバー→一柳アソシエイツ
B)マルハニチロホールディングス→坂口正泰常任監査役→DKB関連会社分析〜第一勧銀オフィスサービス
C)住生活グループ→ニッタン→飯能ゴルフ倶楽部日本化成
D)住生活グループ業務執行社員→白山絡み

■参考記事
初代宝くじ部長=大洋漁業(株)常任監査役

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