益谷秀次
益谷秀次(ますたに しゅうじ、1888年1月17日 – 1973年8月18日)は、日本の政治家。
衆議院議員(14期)、衆議院議長(第46代)、副総理、建設大臣、行政管理庁長官などを歴任した。
……
戦後の1945年、鳩山一郎を総裁とする日本自由党の結成に参加する。しかし、鳩山が公職追放されたため、吉田茂首相兼外相の下、外務政務次官となり、吉田の知遇を得る。
以後、第2次吉田内閣の建設大臣、自由党総務会長、第3次吉田内閣の建設大臣(副総理格)を歴任し、大野伴睦・林譲治とともに「党人御三家」と称された。吉田退陣後は、池田派に所属した。
……
1972年には、学校法人金沢医科大学の理事長に就任。また、世界連邦運動の推進団体である世界連邦日本国会委員会第6代会長であった。
■ネット記事
「どん冷え」 (目黒のご隠居)2011.1.16より
文芸春秋2月特別号に、92歳の「辻トシ子さん」が書いた永田町の裏話が面白い。
彼女は戦前戦後の政界の黒幕、辻嘉六氏の娘である。自民党の重鎮・益谷秀次氏の秘書官になっていた。
■メモ
辻嘉六の書生→益谷秀次