●菅生事件
菅生事件(すごうじけん)は、1952年6月2日に大分県直入郡菅生村(現在の竹田市菅生)で起こった、公安警察による日本共産党を弾圧するための自作自演の駐在所爆破事件。犯人として逮捕・起訴された5人の日本共産党関係者全員の無罪判決が確定した冤罪事件である。 弁護団の調べによると、「市木春秋」は事件直前の1952年春に村に移り、地区の製材所で会計係として働いていた。共産党への協力や入党を申し入れるなどし、被告人らに接近を図っていたという。 被告側は控訴審中に調査を続けた結果、「市木春秋」を名乗る男が国家地方警察大分県本部(現・大分県警察本部)警備課の巡査部長Aである疑いが強まる。Aは1952年ごろ、ちょうど「市木春秋」が菅生村に姿を現す少し前から行方不明になっていた。弁護団はAの写真を「市木」を知る村民に見せて回り、その多くから同一人物であるという証言を得たのである。 Aは復職したのちに、警察大学校教授、警察庁装備・人事課長補佐を歴任しつつ、ノンキャリア組の限界とされる警視長まで昇任。1985年、警察大の術科教養部長を最後に退職した。さらに、退職後の1987年には警察共済組合の関連企業である「たいよう共済」の役員となり1995年5月まで勤め、続いて危機管理会社「日本リスクコントロール」へと天下りした。これらはノンキャリア組警察官としては異例の厚遇である。たいよう共済は警察職員とその家族を対象とした傷害保険の代理店であり、職員の大半を警察OBが占めている。次のわたり先である日本リスクコントロールもやはり警察OBが幹部を占める会社であった。 Aの天下りは1989年10月28日の参議院予算委員会にて、日本社会党の梶尾敬義議員が、たいよう共済の常務にAが就任してることを取り上げて、公にされた。たいよう共済はパッキーカード(パチンコのプリペイドカード)を発行する「日本レジャーカードシステム」の資本金のうち、9%を出資していたため、折りしも国会で俎上に載せられていた「パチンコ疑惑」に絡んで暴露されたのである。 |
■考察
(株)たいよう共済 代表取締役:津和孝亮→(株)ジェイ・ピー・システムズ 元代表取締役社長→ビュレックス麹町→才和有限責任監査法人
(株)たいよう共済 大阪支店→NS21ビル→(株)NHKプラネット 近畿総支社