小林中とM資金〜読んだ本から

読んだ本から

■「内幕 ●日本を操ってきた権力の裏面史」加納明弘+高野孟著 54-55Pより

●政財界M資金コネクション
M資金の日本がわ関係財界人として、消息通にたえず名指しされるのは、
小林中植村甲午郎の二人である。この二人は戦後日本を代表する第一級の財界人だが、奇妙に共通点がある。それは財界人として欠くことのできない重要企業や財閥の背景をもたないで、第一線財界人として活躍しつづけていることである。
……
コバチュウ=小林中のプロフィール
小林中を財界人として育て上げたのは根津グループの総帥
宮島清次郎であった。桜田武(日経連会長)、水野成夫(故人、元国策パルプ社長)らもその一員であった。宮島は吉田茂の東大同期生で、吉田の政治資金を提供して、吉田内閣時代の陰の財界総理といわれた。
……
弱小財閥であるが故に、解体も追放もまぬがれた根津グループは、この時期にGHQとの連携を深める一方、吉田と宮島の結びつきを強めることで、いっきに財界活動の表面に浮かび上がったのであった。
この宮島に推されて小林中が手にした地位が、
初代開銀総裁であった。当時中堅生保会社にすぎなかった富国生命社長の小林が、この金的を射とめたのは、すべて宮島の力といっていい。

小林中参照
閨閥:小林家(富国生命)参照

表舞台裏舞台〜福本邦雄回顧録より

福本 それについては、僕が『中央公論』に「財界人の思想と行動」というのを、二回ぐらい書いていますから、大体その通りです。「コバチュウ・グループ」というのがいて、それが財界と政界との間を仕切っていた。一番初めは、吉田(茂)さんと、宮島(清次郎)さんとの関係から出来たのかな。

日清紡ですね。

福本 宮島さんが退いて、「コバチュウ」(小林中)になったのかな。「コバチュウ」が、なぜあのグループの筆頭になったかと言うと、当時、彼は富国生命社長から開銀総裁になったわけですから、復興資金を扱っていた。それが、一つの力の源泉だったのではないか。それで、「コバチュウ」が大将で、副将に水野(成夫)がいて、あと永野重雄がいて、桜田武今里(広記)がいた。見習士官が五島昇小坂徳三郎鹿内信隆という連中ですね。それで、財界と政界の間を取り結んで、その代わり、国家的プロジェクトに対する人事は、この連中が完全に握っていた。例えば、国家公安委員、NHKの経営委員、電電公社の経営委員(の人事)は、この連中が握っていた。

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