【wiki拾い読み】古荘四郎彦

wiki拾い読み

古荘四郎彦からのコネクション
2016年3月19日-ネット探偵のブログ2

■古荘四郎彦

疑獄と謀殺より

疑獄と謀殺〜戦後、「財宝」をめぐる暗闘とは“森川哲郎著より

P90より

 フィリピンからの問題の掠奪ダイヤは俗に山下兵団の財宝といわれるものであったが、憲兵隊が掠奪したものという。
 その後ひそかに日本に運ばれ、隠匿されたものであった。その量はダイヤ、貴金属類が中心で、当時約二百億円分あったといわれている。日本に運び出し、隠匿したのは、当時フィリピン軍政
付だった憲兵・杉山少佐と、司令部副官塚本少佐であったといわれていた。
 二人は昭和18年3月に、ひそかに財物を東京に空輸し、終戦直前まで、保管したというのである。
 フィリピン政府は、その後、血眼になって、このダイヤの行方を捜索していたものだ。
ダイヤの一部は、このときすでに千葉県で
古荘四郎彦氏(のちの千葉銀行頭取)が経営していた千葉合同無尽会社の金庫に秘匿されていたという。それは日銀地下の供出ダイヤとはまったく別のもので、その台帳にも記載されていないもの

24-衆-予算委員会-16号
24-衆-予算委員会-16号の考察

古荘四郎彦(2014年10月5日 (日) 10:28 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』

古荘四郎彦(ふるしょう しろひこ、1884年(明治17年)7月18日 – 1967年(昭和42年)10月24日)は、日本の銀行家。初代千葉銀行頭取、千葉工業大学理事。熊本県熊本市出身。陸軍大将の古荘幹郎は兄

古荘幹郎(2015年10月14日 (水) 04:33 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』

古荘幹郎(ふるしょう もとお、1882年9月14日 – 1940年7月21日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。

……
・妻 古荘嘉子(建築家伊藤為吉の娘)
・弟 古荘陸生(陸軍大尉)・古荘四郎彦(千葉銀行頭取)

伊藤為吉(2014年10月19日 (日) 14:25 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』

伊藤為吉(いとう ためきち、1864年1月 – 1943年5月)は、日本の建築家・発明家。伊勢国松坂(現三重県松阪市)出身。
……
17歳で上京、
尾崎行雄の家に寄宿し、工部大学校で機械工学を学び、幸田露伴や郡司成忠と漢学の勉強をする。その後攻玉社に学僕として住み込み、片山潜と知り合う。22歳の時、片山とともに渡米、サンフランシスコ付近の修道会に学僕として住み込み、洗礼を受ける。
……
銀座の初代服部時計店、日本博品館、愛宕ホテル、本郷春木町の中央会堂などを建築設計する。
……
家族
長女の佳子は陸軍大将の古荘幹郎の妻。長男の伊藤道郎は世界的舞踊家で、その妻はアメリカ人の伊藤ヘイゼル(子にジェリー伊藤)。二男の伊藤鉄衛は父と同じく建築家。三男の伊藤祐司はオペラ歌手でコスチューム・デザイナー、妻は日系人舞踊家のテイコ・イトウ(子に伊藤貞司(英語版))。次女のあい子は阪東壽三郎の妻。四男の伊藤熹朔は舞台美術家。三女の暢子は画家の中川一政の妻(子に中川晴之助)。五男の伊藤圀夫は千田是也として演出家・俳優で、妻はドイツ人のイルマ(娘に中川晴之助の妻、孫に女優の中川安奈)と女優の岸輝子。六男の伊藤貞亮は父と同じく建築家。七男の伊藤翁介は作曲家・ギタリストで妻は伊藤多津子。

伊藤瞭介(2014年11月23日 (日) 11:30 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』

伊藤瞭介(いとう りょうすけ、1938年6月28日 – )は、日本の実業家。1997年に風力発電メーカーであるゼファーを設立、小型風力発電施設では日本一のシェアを誇る企業に成長させた。

経歴
・1938年 日本におけるギタリストの草分けである伊藤翁介の長男として生まれる。
・1961年 成城大学経済学部卒業
・1961年 山水電気入社
・1976年 同社取締役就任
・1986年 同社代表取締役社長就任
・1990年 同社代表取締役社長退任
・1992年 伊藤総研設立。(コンサルタント業)
・1997年 風力発電機メーカー、
ゼファー設立、代表取締役社長就任
・2010年 5月 同社代表取締役会長に就任 10月 会長を退きファウンダーに就任
新資本主義研究会(旧近代資本主義研究会) 世話人

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