【wiki拾い読み】三浦博史

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三浦博史(2016年2月29日 (月) 17:29 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』

三浦博史(みうら・ひろし 1951年-)は東京都出身の選挙プランナー。

人物
慶應義塾大学卒業後、安田信託銀行に入行。その後
1979年から椎名素夫(衆議院議員)公設秘書を9年間務める。その間、社団法人国際経済政策調査会事務局長、ジョージタウンフォーラム・オブ・ジャパン(会長:安倍晋太郎)会長秘書役等を歴任。

1988年、アメリカ合衆国国務省個人招へいプログラムで米国に派遣され、アメリカ合衆国の政治・選挙事情を視察・研修し、アメリカ随一の選挙コンサルタントから選挙プランニングについての知識を習得。

1989年、日本初の選挙プランニング会社である「アスク」を設立し、代表取締役に就任。以後、選挙のキャンペーンビデオや選挙ソフトの開発、世界各地の選挙事情の情報収集などに努め、日本各地で行われる国会・首長・地方議会選挙を手掛けると共に、従来からの「どぶ板型選挙=地上戦」と、最新の「科学的根拠に基づいた空中戦」の融合を進め、選挙プランナーとして活動中。業務は国会議員か地方首長選挙が主な対象である。
保守を自認しており、顧客は保守系の候補者が多い。東京都知事選挙の
石原慎太郎舛添要一、神奈川県知事選挙の黒岩祐治、千葉県知事選挙の森田健作、新潟県知事選挙の泉田裕彦山口県知事選挙の山本繁太郎、沖縄県知事選挙の仲井眞弘多他、数多くの首長、衆参国会議員等のプランナーを務め、勝率は9割という。

三浦博史
三浦博
椎名素夫議員 公設秘書(1979-1988)
椎名悦三郎の子
元(社)国際経済政策調査会 事務局長
元(財)あすか青年育成国際財団 専務理事
総務庁第4回世界青年の船 ナショナルリーダー
総務庁青年海外派遣事業フィンランド団 団長
ジョージタウンフォーラム・オブ・ジャパン(会長:安倍晋太郎)会長秘書
アスク(株)代表取締役社長→麹町アネックス
明治学院大学法学部 非常勤講師
(一社)日本選挙キャンペーン協会 専務理事
(一財)青少年国際交流推進センター 理事→東京海苔会館
(一財)中小企業レクリエーションセンター 理事
(一財)日本教育再生機構 監事
(NPO)日本マナー・プロトコール協会 専務理事
小笠原流礼法宗家本部 理事
英国エディンバラ公国際アワード ジャパン ナショナル・ディレクター

●中川昭一氏逝去  (2009年10月5日)
アスク(株)

まず初めに、中川昭一氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
同氏との出会いは、私がまだ代議士秘書時代の昭和63年、当時ホワイトハウスをはじめ米国政界に数多くの人材を輩出していたジョージタウン大学でのセミナーに出席するためにワシントンDCに一週間ほど数名でご一緒させていただいた時です。
私が仕えていた故
椎名素夫代議士や、故安倍晋太郎氏、そして中川昭一氏等と共に恒常的な日米人脈をつくろうという目的のフォーラムでした。中川氏は大変気さくな方である一方、米国の政治家や学者、財界人を相手に農業や安全保障問題でも一歩も譲らない堂々と議論した姿が思い出されます。
農業、拉致問題、安全保障といった、まさに国会議員として大切な問題を、海外の政治家と互角に渡り合える数少ない政治家の一人だったと思います。政治家としては骨太に見えた中川氏ですが、内面はお父様に似て結構繊細な方だったのでしょう。
国内での人気も大切ですが、海外で日本の国益を正々堂々と主張できる政治家が少なくなったような気がします。

中川昭一元議員追悼
2009年10月20日-グローバルリーダーシップセミナーの講師で米国大手コンサルで長年の経験を持つ萩原達夫(はぎわらたつお)が皆さんと意見交換をする場!

10月3日に第10代財務大臣の中川昭一氏が亡くなりました。アメリカのビジネス界で異彩を放つ現役コンサルタントが送る躍動感あふれるビジネス-Shochan 実をいうと、今から21年前に私は中川氏とお会いしたことがあります。その当時、ジョージタウン・フォーラムというジョージタウン大学と関係がある、自民党の若手国会議員を中心とした団体の立ち上げのアルバイトをしていたのですが、そのパーティー会場には多数の当時の自民党の若手議員が来られていて、中川氏はその中でもとても目立っていました。そういえば、今首相の鳩山由紀夫氏や、その弟の鳩山邦夫議員なども来ていました。当時は「国際化」というのがはやり言葉で、多くの国会議員が外国人の秘書なども抱えていました。そのPARTYもマンスフィールド元駐日大使や、ジョージタウン大学の教授で元国連大使も来ていました。私は八幡氏というその組織の発起人で、元外務省官僚の謎の人物の付き人をすることになっていたのですが……
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