兼子眞〜wiki拾い読み

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兼子眞
兼子 眞(かねこ まこと、1948年〈昭和23年〉7月17日 – )は、日本の実業家。1971年(昭和46年)輸入自動車販売のチェッカーモータース株式会社を創業。2004年(平成16年)シー・エム・プランニング株式会社を設立し、白金・原宿・桜新町に時計宝飾店ガレリアを、神宮前に化粧品什器販売アレーゼを構える。かつてレーシングチームFLATOUTのオーナー兼監督を務めており、自身もレーシングドライバーとしての顔を持つ。さらに、人材派遣会社の顧問や雑誌の創刊、編集、執筆も手がけるなど、幅広い分野で活躍している。

生い立ち
1948年7月17日、東京都世田谷区の名家に生まれる。父は社会心理学者の兼子宙、母は国連婦人部日本代表の一員を務めた兼子英子、伯父は日本の民事訴訟法学の独自性の基礎を築いた法学者の兼子一。行政法学者で東京都立大学名誉教授の兼子仁を従兄に、日本の私学教育振興に寄与し英国人ながら瑞宝章を受勲したジェームス・フィーガンを義兄に持つ。裕福な環境で育ち、終戦間もない幼少期にはアメリカから自宅に届く物資を近所の住民に配っていた。また、母親が女性としては日本で5本の指に入るほど早くに自動車の運転免許証を取得しており、その影響でまだ“車1台で田園調布に家が建つ”という時代に、幼い頃から車のある生活を送っていた。

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その後の兼子眞
チェッカーモータース売却後は、同社最高顧問に就任。日興アントファクトリーが資本参加した際には、社員幹部の教育や組織運営全般に対する指導を行なっている。また、2002年(平成14年)には、香港・上海・台湾・タイ・シンガポールに海外拠点を持つ人材派遣会社パヒューマ・アジア・カンパニー・リミテッド(株式会社パソナの子会社)の顧問に就任。1970年代にソフトバンクの孫正義、エイチ・アイ・エスの澤田秀雄とともにベンチャー三銃士と称された
パソナ代表取締役グループ代表兼社長の南部靖之の代理として、毎月行なわれるミーティングの議長および相談役を務めていた。しかし2004年(平成16年)、自身の新たな事業の展開を図り、チェッカーモータース、パヒューマ・アジア・カンパニー・リミテッドともに顧問の職を辞している。
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その他の経歴
辰巳出版から発行されていた「ミニ・マグ」(1993年〈平成5年〉創刊)、ネコ・パブリッシングが発行している「パーフェクトボート」(2000年〈平成12年〉創刊)、さらに医療関係誌など複数の雑誌の創刊に携わっており、編集・執筆も手がけている。

■つぶやき
世田谷といえば陸自用賀駐屯地近くの名士が異様に大勢集うハコモノ・マンション@弦巻。

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