■原美術館
原美術館 (はらびじゅつかん) は、東京都品川区北品川にある、原俊夫が設立した現代美術を中心とした私立美術館である。
JR品川駅から車で5分ほどの住宅街のなかにある原美術館は、東京ガス会長、日本航空会長、帝都高速度交通営団(営団地下鉄)総裁などを歴任した実業家原邦造の邸宅であった。原邦造の養父の原六郎も実業家、美術品収集家として知られている。
現在、原美術館として活用されている瀟洒な邸宅は、渡辺仁の設計で昭和13年(1938年)竣工したもの。渡辺は上野の東京国立博物館本館や銀座の和光本館(旧服部時計店)の設計で知られる、当時の代表的な建築家である。
原美術館は、財団法人アルカンシェール美術財団を母体として昭和54年(1979年)に開館した。現代美術の最新の動きを紹介する意欲的な展覧会を随時行っており、「ハラ・アニュアル」展の開催などによって、有望な新人の紹介にも努めている。
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財団法人アルカンシェール美術財団は、現代美術とは別に、原六郎コレクションの古美術も所有しているが、原美術館では展示しておらず、国宝の「青磁下蕪花生(せいじしもかぶらはないけ)」(南宋時代)などは、東京国立博物館に寄託されている。
■原俊夫
原 俊夫(はら としお)は原美術館館長。財団法人アルカンシェール美術財団理事長。
実業家原六郎の曾孫、実業家原邦造の孫。
学習院大学卒業後、アメリカに留学し美学・美術史・博物館経営論を学ぶ。
父から引継いだ日本土地山林などの企業経営をする傍ら、1979年(昭和54年)、原邦造の私邸を開放し、当時日本では珍しかった現代美術専門の美術館である原美術館を開館し、後に群馬県の伊香保温泉にある伊香保グリーン牧場内に原美術館別館としてハラミュージーアムアークも開館した。
■原六郎
原六郎(はらろくろう、天保13年11月9日(1842年12月10日) – 昭和8年(1933年)11月14日)は幕末、明治・大正・昭和期の志士、軍人、銀行家、実業家。もとの名は進藤俊三郎長政といい、生野の変で敗れ潜伏中に、原六郎と改名。但馬国佐中村(現・兵庫県朝来市)出身。
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1870年(明治3年)に太政官が30万石以上の大藩に選出させた海外官費留学生として、原は1871年(明治4年)に渡米する。しかし原は短期留学で満足できず、官費が打ちきられてもアメリカに残った。今後の日本の発展は、軍事よりも経済だと考えたためであった。苦労の末にコネチカット州にあるエール大学に入学して、経済学・金融学を学ぶこと2年。次いで1873年(明治6年)には、イギリスに渡り、キングスカレッジで経済学・社会学・銀行学を修め、1877年(明治10年)に帰国した。
原俊夫 | (財)MRAハウス理事 (財)日本博物館協会理事 元・富国生命保険・東京総代 |
(財)日本博物館協会→尚友会館
■(公財)アルカンシェール美術財団
品川区東五反田3-20-14
理事 | 本田親彦 | 太陽ASG有限責任監査法人顧問 (株)伊香保カントリー倶楽部監査役 学校法人 上智学院監事 |
理事 | 磯崎新 | ■wikiより 1960年-丹下健三研究室で黒川紀章らとともに東京計画1960に関わる 祖父の磯崎徳三郎は大分市議会議長も務めた米問屋で、その米倉庫は 三浦義一や林房雄が子供の頃遊び場としており、その縁で三浦義一の 寄付により建設された旧大分県立大分図書館の設計者に指名された。 |
理事 | 澤間康雄 | (財)社会経済生産性本部 理事長 |
理事 | 江頭啓輔 | 元・野村證券(株)常務取締役 元・西武百貨店常務取締役 元(株)大沢商会代表取締役社長 元・クライスラージャパンセールス(株)取締役会長 元・ダイムラークライスラー日本(株)取締役 元・日本自動車輸入組合理事長 (株)ひらまつ監査役 三菱ふそうトラック・バス(株)代表取締役会長→相談役 ※サザビーズ・ジャパン塩見和子社長と同住所(部屋番号) ■(株)ひらまつ→唐澤洋監査役 |
■(株)伊香保カントリー倶楽部
取締役 | 柳谷圭政 | 日本土地山林(株)専務取締役 (株)アーテック代表取締役社長 (公財)アルカンシェール美術財団理事 |
取締役 | 川名種夫 | 日本土地山林(株)監査役 |
監査役 | 本田親彦 | 上記 |