大東亜省

日本政治

大東亜省–wikiより
東條英機内閣(提案の中心となったのは鈴木貞一企画院総裁)によって、1942年(昭和17年)11月1日に設置される。拓務省が他省庁(興亜院、対満事務局、外務省東亜局及び南洋局)とともに一元化され、官房、参事、総務局、満洲事務局、支那事務局及び南方事務局によって構成される。いわゆる大東亜共栄圏諸国を他の外国とは別扱いとして外務省の管轄から分離させて、日本の対アジア・太平洋地域政策の中心に据える構想であった。イギリスにおけるインド植民省をモデルとしていた。

大東亜大臣
初代:青木一男:1942年11月1日-1944年7月22日

設置当初の幹部人事
顧問:安岡正篤

【参考記事】
青木一男氏→会長はなぜ自殺したか〜金融腐敗=呪縛の検証
安岡正篤氏→白山とシグマ・ゲイン

【つぶやき】
興亜院……興亜……KOA……コーア
興亜院→1938年12月16日に設立された日本の国家機関の一つ
コーア(株)→1940年3月 – 向山一人(元国会議員)が東京市荏原区(現品川区)小山に興亜工業社として創業

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