「閨閥ー特権階級の盛衰の系譜 改訂新版」神一行著
とても素晴らしい本を書かれる神氏の著作です。
プロローグでの同氏の見解披瀝は必見でしょう。
同書の中曽根元総理の閨閥において、サンシャイン計画に関する記述があります。
中曽根元総理がどういうつもりで双川文吾を”特設秘書”とし、何のためにホーク首相との朝食会まで同席させたかはわからない。しかし、かつて中曽根が通産省のころ産業技術審議会の答申を得て、その褐炭液化プロジェクトを軸とする”サンシャイン計画”を立て、そこに約600億円の血税を注ぎ込んでいる事実をみると、中曽根の双川にかける期待はひとしおだというべきだろうか。(P179)
■サンシャイン計画–wiki
サンシャイン計画とは、1974年7月に発足した日本の新エネルギー技術研究開発についての長期計画である。
1973年に発生した第1次オイルショックを契機に、エネルギー問題とそれに付随する環境問題の抜本的な解決を目指して1974年、工業技術院によって計画された。1992年までに4400億円が投じられた。
1993年からはムーンライト計画(地球環境技術開発計画)と地球環境技術開発計画を統合したニューサンシャイン計画が行われ、環境保全、経済成長、エネルギー需給安定対策のための新エネルギー、省エネルギー技術、環境対策技術推進が計画された。
2000年まで、石炭の液化、地熱利用、太陽光発電、水素エネルギーの各技術開発に重点を置かれていた。太陽熱発電については、日照時間の長さから香川県仁尾町(現三豊市仁尾町)に、平面ミラーによるタワー集光型太陽熱発電装置と、曲面ミラーとパラボラミラーによる集光型太陽熱発電装置とが設置されたが、出力が計画値を大幅に下回ったため、結局廃棄された(降水量が少ないためミラーの埃が落ちず、出力が低下したとする説がある)。高温岩体発電については、1977年に岐阜県焼岳にて実験が開始された。
その後、1993年には『ニューサンシャイン計画』としてリニューアルしたが、2000年に終了。
■堺屋太一 –wiki
官僚時代
1960年4月に通商産業省入省。入省同期に、熊野英昭(元事務次官)、松田岩夫、初代経済産業研究所所長の岡松壮三郎らがいる。通産省時代は部下が家まで起こしに行くなど個性派であった。
1962年の通商白書では世界に先駆けて「水平分業論」を展開。また、日本での万博開催を提案、1970年の「大阪万博」の企画・実施に携わり、成功を収める。その後、沖縄開発庁に出向、1975年-1976年の「沖縄海洋博」も担当する。工業技術院研究開発官としてサンシャイン計画に携わった後、通産省を退官する。