第一勧銀における長野県閥支配

みずほFG

第一勧銀の役員を時系列に並べてみて、特異な点といえば、井上薫氏の会長→名誉会長の在任が長すぎる点です。
1971年の第一勧銀発足から1992年まで21年間も続いています。
合併前の第一銀行の時代から数えると、さらに長くなります。
そして、その井上会長の後を実質的に引き継いだのが、井上会長と同じく長野県出身の藤森鐵雄氏でしょう。
藤森氏が取締役に就任したのが、1973年5月ですが、同年10月には銀行のコントロールタワーとも呼べる企画部長に就任しています。そして、1975年常務取締役、1979年4月専務取締役、1980年副頭取、1982年に会長と昇進しています。会長を退任したのが1988年、その後取締役として1991年まで役員として在任しています。
藤森氏の後継といえば、それは藤森氏の娘婿である大須賀克爾氏でしょう。
それは第一勧銀の中でなく、藤森氏が社外取締役を務めた白洋舎に、大須賀氏も監査役として就任していることで見てとれます。
そもそも白洋舎の経営一族は第一銀行と親密で、同行の個人大株主として名を連ねていた廣瀬太次郎氏の一族とも親密です。
また、白洋舎は名古屋伊藤財閥とも親密で、伊藤財閥の当主である伊藤次郎左衛門氏も社外取締役でした。

大須賀氏は宝くじ部担当取締役でしたが、白洋舎本社ビルにはかつてNHK関連会社が入っており、そこにも宝くじ人脈が入っていました。
NHKアイテックと白洋舎参照

また、現在のもう一人の監査役である後藤啓二弁護士はフクダ電子の監査役でしたが、フクダ電子といえば→監査担当会計士:ライフコーポレーション参照

かように白洋舎は株価的には目立たない会社ですが、大変興味深いのです。
閨閥をもっと詳細に調べれば、まだ何かありそうな予感がします。

もう一つ、藤森氏が社外取締役であった企業で注目しなければいけないのは、ジャスコ(イオン)でしょう。
これについては次の記事を参照ください。
ジャスコと第一銀人脈
ジャスコからのコネクション〜その1

■興味深いこと
白洋舎と帝国ホテルの関係→帝国ホテルーメモ参照

(財)地域活性化センターは会長が伊藤財閥系の人物が過去の慣例。
地域活性化センターのロケーション。
→廣瀬一族の廣瀬商会のすぐ近く。

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■参考資料
「豪閥-地方豪族のネットワーク」佐藤朝泰著

■つぶやき
閨閥と、そのサポーターで財界は形成されている。
白山と白洋–白い山に白い海。

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