【wiki拾い読み】塚本素山

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塚本素山

塚本素山(つかもと そざん、1907年(明治40年)9月1日 – 1982年(昭和57年)4月4日)は、日本の陸軍軍人、実業家。千葉県出身。陸軍士官学校卒業。本名は塚本清。

経歴
1956年(昭和31年)、日鉄中央機械、日新興業、日新実業が合併した塚本総業を設立し、塚本総業代表取締役に就任する。塚本不動産社長、八盛興業社長、日新興業会長、大和通運会長を務め、日本カーフェリー取締役、ニューナラヤ(現・千葉三越)取締役のなどを兼任する。
1961年(昭和36年)、創価学会に顧問制度が創設され、法華講連合会会長(当時、初代委員長)の平沢益吉、三菱銀行員の戸田喬久の2人と共に創価学会顧問(初代)に就任する。
東京都中央区銀座の
日本刀美術館(現・塚本美術館)館長を務める。
埼玉県熊谷市の法潤寺の建立を発願し、1963年(昭和38年)に、法潤寺が建立された。
埼玉県朝霞市の日成寺の建立を発願し、1978年(昭和53年)に、日成寺は建立された。
千葉県長生郡一宮町の法清寺の土地を寄進し、死後1984年(昭和59年)に、法清寺は建立された。

役職歴
塚本総業代表取締役
創価学会初代顧問
日本刀美術館館長

■考察
また謎の1ピースが埋まりました。
塚本素山ビルというハコモノに集うのは?

●「軍隊なき占領〜ウォール街が「戦後」を演出した」G・デイビス/J・ロバーツ著117Pより

東南アジアのコネクション
……
木下商店がもっとも得意とする部門は鋼鉄であり、自民党岸派との接触は、主に木下商店社長・木下茂と、当時の富士製鉄社長・永野重雄の兄、永野護を通じて行われた。
永野重雄は日韓産業界の関係を促進する国家主義者グループ、韓国ロビーでも活躍した人物だが、彼の友人には創価学会の大物で金貸しの塚本素山がいた。塚本は、のちにが醜聞に巻きこまれる千葉銀行の大株主でもあった。木下産商の取締役のひとりが、元駐米大使でハリー・カーンPRジャパン社のスポンサーであった谷正之だった。ジャパン・ロビーと韓国ロビーの利害関係は多分に重複しており、両者のあいだにはある種の同盟関係が生まれていたといえよう。

※岸=岸信介

岸→CIA、MRA(道徳再武装運動)、日韓協力委員会、ハニル・ツーリズム・デベロップメント・カンパニー(韓国)

日韓協力委員会→清水信次・ライフコーポレーション代表
MRA→渋沢財閥、三極委員会

創価学会からのコネクション

噛み合ってきましたよ。
日本刀といえば→(公財)日本美術刀剣保存協会

連続特集 崩壊する創価学会より
「月刊ペン」1976年5月号P28

では残る一人、塚本素山とは何者なのか。注意深い読者なら、その名前が最近の新聞、雑誌にたびたび登揚する名前であることに気づかれるに違いない。ロッキード事件の主役、児玉誉土夫の事務所がある、東京・銀座の塚本素山ビルの持ち主がその人物である。塚本総業本杜も、そのビルの中にある。

ビルダーバーグ会議〜wiki拾い読みより

ベルンハルト (オランダ王配)
ベルンハルト・ファン・リッペ=ビーステルフェルト(Bernhard van Lippe-Biesterfeld, 1911年6月29日 – 2004年12月1日)は、オランダ女王ユリアナ女王の王配(夫君)。リッペ=ビーステルフェルト公。現女王ベアトリクスの父。
……
1944年帰国、祖国を解放した女王一家を、国民は大喝采で迎えた。戦後、ベルンハルトはKLMオランダ航空をはじめ多くの企業役員職を務め、軍の監察総監でもあった。国際ロータリー世界自然保護基金(WWF)の設立に関わり、1961年には後者の初代総裁となった。WWFの設立は国際的な要人などによる寄付からなり、そこにはロッキード社のコートラント・グロス(ロバート・グロスの弟)、ノースロップ社のトム・ジョーンズ、フレッド・モイゼルなど後にロッキード事件に関わる人物が名を連ねている

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