【wiki拾い読み】八田一朗、ロッキー青木

wiki拾い読み

八田一朗(2015年11月10日 (火) 06:22 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』

八田一朗(はった いちろう、1906年6月3日 – 1983年4月15日)は、日本のレスリング選手・指導者、政治家である。日本レスリング界の父であり、参議院議員も務めた。また、1964年東京オリンピック招致にも尽力した。広島県安芸郡江田島町(現・江田島市)出身。
……
当時、八田は体育協会から派遣されて
嘉納治五郎の秘書をしていたが、嘉納からは「レスリングを始めるのもよいが、五十年かかるよ」と言われたという。八田は嘉納の言葉を宝物のように心にとどめた。八田の晩年の弟子・松浪健四郎は、「生まれ故郷の柔道界に敵対心を持ち続けることで、己の闘志を鼓舞させ、不退転の決意を持続させることができたのではないか」と述べている。
……
八田が海外遠征に送り込んだ選手は延べ約1000人に及ぶ。その中には、渡米してそのままニューヨークにとどまり、
レストラン「BENIHANA」の成功で大富豪となり、レスリング協会に多額の寄付をしたロッキー青木らも含まれる。
……
1965年7月には参議院議員選挙に自民党から立候補し当選。
スポーツ議員第1号となった
……
2003年、
八田最後の弟子ともいわれる福田富昭が日本レスリング協会会長に就任している。

青木廣彰(2015年5月18日 (月) 23:36 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』

青木廣彰(あおき ひろあき、1938年10月9日 – 2008年7月10日)は、日本の実業家、冒険家。東京都出身。アメリカ合衆国の鉄板焼きレストランチェーン「BENIHANA」の創業者。通称、ロッキー青木。
……
1964年、両親が既に日本橋を本店に銀座などで洋食屋「紅花」を数店舗経営していたため、両親兄弟も伴い家族も渡米し、鉄板焼きレストラン「BENIHANA OF TOKYO]」第1号店をニューヨーク・マンハッタン西56丁目に開業。
……
1982年、4人乗り気球「ダブルイーグルV」での太平洋横断を行う。また、
ニューヨーク倫理友の会会長を努めた。ビジネス成功本を多数執筆したり、ネットワークビジネス宣伝本等を翻訳した。

……
2001年7月、ニューヨーク在住コンサルタント
小野恵子と再婚(ロッキーは3度目の結婚)

■Benihana-Ono Restaurant Holding B.V
小野グループ関連会社

代表取締役社長(1992.5-):小野光太郎

代表取締役副社長(1992.5-):小野稔

小野グループと政治献金

サンレジャーと第一勧銀人脈

20160303_62214

■考察
八田一朗→福田富昭

ロッキー青木→小野グループ

タイトルとURLをコピーしました