スポンサーリンク

【田中角栄人脈】曳田照治

日本政治

【田中角栄人脈】曳田照治

角栄を取り巻いた人士たち

曳田照治

◎最初期の有能秘書で、十年余勤めて、軍隊時代のマラリアが再発して病死した。

◎新潟県南魚沼郡塩沢町に生まれ、苦学して愛知の名古屋工大(現在の名大工学部)を卒業。応召。昭和21年、比島戦線よ
り「復員後
暫く家でブラブラしていたが、戦友の紹介でたまたま東京の田中土建工業に就職した。で、田中が初めて総選挙に出ることになり、足がかりの全く無かった魚沼地方の拠点づくりに獅子奮迅の働きをしたんだ。南北魚沼の票は、新潟3区全体の4分の1にあたる。のちに、魚沼は田中の『牙城』・『聖地』と云
われたが、曳田あっての牙城、聖地だったといってよかったんです。まさに、『
曳田なくして田中無し』だった」(越山会古老会員)と云われるほど有能な秘書
であった。

◎越山会の査定方式、後に開花する日本列島改造論の原型はこの曳田秘書が下敷きしたとも云われている。恰幅の良い雄弁家であって、「以来、豪雪寒冷地域格差の解消に快刀乱麻を絶つがごとき活躍をなし、為に南北魚沼の公共施設は面目を一新し」と碑に
刻まれたように「曳田と田中とどちらが代議士か分からない」と云われるほど陳情の根回し処理も凄腕だったといわれている。

第14方面軍 (日本軍)(2016年8月6日 (土) 15:33 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』

第14方面軍(だいじゅうよんほうめんぐん)は、大日本帝国陸軍の方面軍の一つ。
第14軍(だいじゅうよんぐん)は、1941年(昭和16年)11月6日に南方軍隷下の軍として設置され、
フィリピン方面を作戦地域とした。1944年7月に第14方面軍に改編昇格した。

……
歴代司令官
第14軍司令官

本間雅晴 中将:1941年11月6日 –
田中静壱 中将:1942年8月1日 –
黒田重徳 中将:1943年5月19日 – 1944年7月28日

第14方面軍司令官

黒田重徳 中将:1944年7月28日 –
山下奉文 大将:1944年9月26日 –

タイトルとURLをコピーしました