大合併と片岡常務取締役企画部長

みずほFG

髙杉良氏の「大合併」では全く語られていない、片岡一久常務取締役企画部長の動きを、時系列で追ってみます。

1969年10月18日–第一銀行・井上薫頭取と澁澤倉庫・八十島親義社長(元第一銀行総務部長)が懇談、日本勧業銀行との合併についての話が出る。
1969年11月29日–日本宝くじ販売(株)、(株)日宝販に商号変更、定款に保険代理業務、物品販売などを追加する。
1969年12月17日–六本木「明石」にて井上頭取、勧銀・横田郁頭取、八十島社長の初会談。
1969年12月18日–勧銀・西川正次郎副頭取に前日の会談について横田頭取が語る。
1970年5月–片岡氏、勧銀退任
1970年6月–片岡氏、(株)日宝販会長、南桜商事(株)社長就任
1970年7月–片岡氏、東京宝くじ協会顧問就任
1970年7月1日–(株)東京アドエージェンシー設立
1970年9月–片岡氏、中部経済新聞社相談役就任
(1970年11月25日–三島事件(三島由紀夫))
1971年1月末–この頃までに井上横田両頭取間で合併に関する基本事項は完全合意完了。
1971年2月下旬–井上頭取が第一銀行内の根回しを開始。
1971年3月10日–共同ビルヂング(株)設立
1971年3月11日–井上頭取、伊藤忠商事・越後正一社長の表敬訪問を受ける。2行合併記者会見
1971年10月1日–(株)第一勧業銀行発足

片岡氏は取締役会で一人合併に異議を唱え反対票を投じ、それが役員会の最後になったそうです。
つまりは1970年の春には少なくとも勧銀役員はみんな知っていたことになります。
週刊誌も片岡氏の行動を察知して、氏の後を追ったとのことなので、マスコミ各社にもオフレコで情報は出回っていたと考えて良いでしょう。
片岡氏は常務取締役で企画部長という要職にあったので、筆頭常務ともいえる立場です。
おそらく割と早い段階で情報は得ていたのではないでしょうか?
いずれにしても、宝くじ販売は片岡氏が強い影響力を持っていたのですが、片岡氏の退任により、その頃には勧銀の外にほぼ基盤を整えたことになります。
2002年の、第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行、3行統合時も前後して宝くじ販売会社は第一勧銀の外に再構築されます。

水面下合併工作最中の大蔵大臣(佐藤栄作内閣)は、福田赳夫議員です。

■参考資料
取締役宝くじ部長・異端のバンカー・片岡一久の生涯/大山真人著

■関連記事
片岡一久宝くじ部長の軌跡

タイトルとURLをコピーしました