日本のフィクサー福本邦雄氏とのインタビューからおこした本で、すごく読まれているであろう「表舞台裏舞台〜福本邦雄回顧録」より ここは、と思った箇所-266Pから |
—財界人というのは、昔「四天王」とか言われていましたが、その人たちが本当にある程度の力を持っていて、政治や何かにも影響力を持っていたことは間違いないわけですね。 福本 間違いないです。 —それは、いつなくなるんですか。 福本 それについては、僕が『中央公論』に「財界人の思想と行動」というのを、二回ぐらい書いていますから、大体その通りです。「コバチュウ・グループ」というのがいて、それが財界と政界との間を仕切っていた。一番初めは、吉田(茂)さんと、宮島(清次郎)さんとの関係から出来たのかな。 —日清紡ですね。 福本 宮島さんが退いて、「コバチュウ」(小林中)になったのかな。「コバチュウ」が、なぜあのグループの筆頭になったかと言うと、当時、彼は富国生命社長から開銀総裁になったわけですから、復興資金を扱っていた。それが、一つの力の源泉だったのではないか。それで、「コバチュウ」が大将で、副将に水野(成夫)がいて、あと永野重雄がいて、桜田武、今里(広記)がいた。見習士官が五島昇、小坂徳三郎、鹿内信隆という連中ですね。それで、財界と政界の間を取り結んで、その代わり、国家的プロジェクトに対する人事は、この連中が完全に握っていた。例えば、国家公安委員、NHKの経営委員、電電公社の経営委員(の人事)は、この連中が握っていた。 |
※注
コバチュウ=小林中氏
開銀=日本開発銀行→現・日本政策投資銀行
■考察
日清紡績(株)、富国生命辺りの歴史と人脈は要検証かと思います。
日清紡績に、富国生命の関係者が役員で入って来たのは、1971年6月で、同年3月に富国生命社長となった古屋哲男氏が監査役となっています。
東京大学経済学部図書館の有価証券報告書データベースで、1985年までの古い有報の一部を閲覧できるのですが、少なくとも1971年〜1985年までは古屋哲男氏は日清紡績の監査役のようです。
日本政策投資銀行が筆頭株主で、開銀出身者が多い新規事業投資(株)の監査役も米山好映富国生命社長(現任)です。今でも開銀関係者との繋がりはあるものと思われます。
話は変わりますが、調査して疑問に思うのは、宝くじと関係(もしくは宝くじ関係者と繋がり)がある会社には富国生命の役員がいる事が多いのです。
■メモ
経団連、経済同友会、日経連、日本商工会議所、この4つのうち、経済同友会についても、この本では語られています。
経済同友会代表幹事抜粋–
藤山愛一郎(日東化学工業)、岩佐凱実(富士銀行)、中山素平(日本興業銀行)、小林陽太郎(富士ゼロックス)etc
慶應三羽カラスと呼ばれる、椎名武雄氏、小林陽太郎氏、茂木友三郎氏は、みんな経済同友会の終身幹事ですね。