【財宝史観】日本史
戦時、戦後の財宝を主軸に見る歴史です。少しずつ追記していきます。
※人名部のリンクは主に日本語版ウィキペディアです。
1943年3月 | フィリピン財宝 | ■田中静壱第14軍司令官専属副官の塚本素山 フィリピンから東京に財宝を空輸 |
1943年3月 | 田中静壱司令官 | マラリアに似た熱病に罹患 この病気の治癒に関しては「生長の家」との逸話あり ※操夫人は生長の家信者で機関誌「白鳩」を購読 |
1943年10月14日 | フィリピン大統領 | ホセ・ラウレル就任(-1945年8月17日) |
1943年11月1日 | 軍需省 | 商工省の大半と企画院とを統合して設置 |
1943年11月1日 | 軍需次官 | 岸信介就任 |
1943年11月5日 -11月6日 |
大東亜会議 | ■出席した海外首脳抜粋 ・ホセ・ラウレル(フィリピン) ・スバス・チャンドラ・ボース(インド) ・汪兆銘(南京国民政府) |
1944年7月 | ブレトン・ウッズ協定 | |
1944年7月23日 | 軍需次官 | 椎名悦三郎就任 |
1944年7月28日 | 軍需次官 | 竹内可吉就任 |
1945年3月末 | ホセ・ラウレル大統領 | 山下奉文大将の助言でフィリピンを脱出、台湾に向かう。 その後、日本へ亡命、奈良ホテルに滞在。 |
1945年4月10日 | 軍需次官 | 椎名悦三郎就任(-1945年8月25日) |
1945年8月14日 -8月15日 |
宮城事件 | ■森赳近衛第一師団長 反乱軍に殺害される ■阿南惟幾陸軍大将 |
1945年8月18日 | ボース機墜落事故 | 台北松山空港にて離陸事故、炎上 インド独立資金用の大量の財宝が滑走路に散乱 スバス・チャンドラ・ボース、台北病院にて死亡 |
1945年8月24日 | 川口放送所占拠事件 |
■田中静壱東部軍司令官 事件を鎮圧 その夜、司令官室にて拳銃自決 立会は塚本素山副官 ※遺書の一つは塚本素山副官宛て |
1945年9月12日 | ジョージ・I・パーディ | フィリピン、台湾を経て横浜に到着 ※艦艇番号LST973 |
1946年2月16日 | ジョージ・I・パーディ | GHQマッカーサーの元で働き始める ※天然資源局鉱山地質部冶金課長 1948年末まで |
1948年12月21日 | 辻嘉六死亡 | ※政友会の黒幕 |
1948年12月23日 | 東條英機絞首刑 | A級戦犯 |
1948年12月24日 | 岸信介 児玉誉士夫 笹川良一 |
A級戦犯 巣鴨拘置所出所 |
1949年7月5日 | 下山事件 | 国鉄総裁下山定則が死体となって発見 ※実行犯と関連疑惑のライカビル |
1951年9月8日 | サンフランシスコ講和条約 | 吉田茂首席全権
■全権委員 |
1952年4月9日 | もく星号墜落事故 | 大量のダイヤが事故現場に散乱 |
1954年11月24日 | 日本民主党成立 | 総裁:鳩山一郎 副総裁:重光葵 幹事長:岸信介 |
1954年12月10日 -1955年3月19日 |
第1次鳩山一郎内閣 | |
1955年3年19月日 -1955年11月22日 |
第2次鳩山一郎内閣 | |
1955年3月26日 | 鳩山一郎首相 | 鳩山邸にてマスター・メイソン(第3位階級)昇級儀式。 フィリピンのグランド・ロッジから幹部来日。 |
1955年9月初旬 | ラウレル来日 | フィリピンのホセ・ラウレル特使が来日。 ※日本占領時の大統領 財宝の行方の調査を神保信彦元陸軍大佐に依頼 9月23日-帰国 |
1955年11月15日 | 日本民主党解散 | |
1955年11月22日 -1956年12月23日 |
第3次鳩山一郎内閣 | |
1974年1月7日 | 田中角栄 | マルコス・フィリピン大統領主催晩餐会 |
1998年7月13日 | BIS月例総会 | BIS(国際決済銀行) 東京にて開催 ※歴史上初 |
2014年4月23日 | オバマ大統領 | 安倍晋三首相と非公式夕食会 塚本素山ビルB1の「すきやばし次郎」にて |
■補足情報