橋下徹弁護士が府知事立候補の際に自民党府議連に支援要請の電話をした仕掛け人らしく、今回も特別顧問のようですね。
富士ソフトの取締役経歴もお持ちで、とても興味深いのでピックアップしてみました。
■堺屋太一(wiki)
堺屋 太一(さかいや たいち、1935年7月13日 – )は、日本の作家・評論家・元通産官僚・経済企画庁長官(第55〜57代)・元内閣特別顧問。株式会社堺屋太一事務所および株式会社堺屋太一研究所の代表取締役社長。様々な博覧会のプロデューサーとしても活動している。
本名は池口 小太郎(いけぐち こたろう)であり、ペンネームの由来は、先祖の商人が安土桃山時代に堺から谷町に移住した際の名前である「堺屋太一」から採ったものである(堺屋は屋号にあたる)。
官僚時代
1960年4月に通商産業省入省。入省同期に、熊野英昭(元事務次官)、松田岩夫、初代経済産業研究所所長の岡松壮三郎らがいる。通産省時代は部下が家まで起こしに行くなど個性派であった。
1962年の通商白書では世界に先駆けて「水平分業論」を展開。また、日本での万博開催を提案、1970年の「大阪万博」の企画・実施に携わり、成功を収める。その後、沖縄開発庁に出向、1975年-1976年の「沖縄海洋博」も担当する。工業技術院研究開発官としてサンシャイン計画に携わった後、通産省を退官する。
博覧会のプロデューサーとして
1978年に通商産業省を退官した後も、イベント・プロデューサーとして数々の博覧会を手掛る。
1990年に開催された花の万博では『ダイコク電機「名画の庭」』パビリオン総合プロデューサーを務め、世界の名画を転写して焼成した陶版画を展示紹介した。後にこれらの陶版画は、「京都府立陶板名画の庭」に移築されている。
堺屋太一 本名:池口小太郎 |
1960年4月-通商産業省入省 1978年10月-執筆・評論活動開始 1998年7月-国務大臣経済企画庁長官 2000年12月-内閣特別顧問 2001年4月-(株)大阪証券取引所取締役(現任) 2002年4月-東京大学先端科学技術センター教授 2004年4月-早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授 2006年4月-早稲田大学特命教授 2009年6月-富士ソフト(株)取締役 ほか |
■(財)アジア刑政財団
ダイコク電機創設者・栢森新治氏の推奨で、財団会長就任
※(財)アジア刑政財団参照
■(公財)社会経済生産性本部・役員抜粋
会長-牛尾治朗-ウシオ電機(株)取締役会長
副会長-椎名武雄-日本アイ・ビー・エム(株)名誉相談役
副会長-古賀伸明-日本労働組合総連合会会長
副会長-落合清四-全国労働組合生産性会議議長、UIゼンセン同盟会長
副会長-増田寛也-東京大学大学院客員教授、元・岩手県知事、元・総務大臣
理事-歌田勝弘-味の素(株)特別顧問
理事-大橋洋治-全日本空輸(株)取締役会長
理事-児玉幸治-(財)機械システム振興協会会長、元通商産業事務次官
理事-森田富治郎-第一生命保険(株)特別顧問
監事-塚本隆史-(株)みずほ銀行取締役頭取
■防災情報機構
防災情報機構〜wiki拾い読み参照
■つぶやき
ダイコク電機との関わりが大きそうな堺屋氏。
ダイコク電機といえば–
東京に関連会社が集まるのは、中野の整理回収機構のそばにあるハーモニータワー。
ここにはYAMATOの子会社、(株)コンピュータマインド東京本社も入っています。
それにしても有報に(財)アジア刑政財団会長という立派な経歴を入れないのはどうしてでしょうか???