【wiki拾い読み】大谷貴義

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大谷貴義(2016年1月14日 (木) 07:19 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』

大谷貴義(おおたに たかよし、1905年5月31日 – 1991年5月17日)は、和歌山県出身の実業家。日美創業者。

人物
宝石卸を本業として「日本の宝石王」と呼ばれる一方、政財官界やアンダーグラウンドの世界に隠然たる力をもち、児玉誉士夫らと並ぶ「戦後最大級のフィクサー」と称された。
特に、福田赳夫元首相とのつながりが強く、「福田の影に大谷あり」と言われた。
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さらに、田中角栄元首相や、国際興業創業者
小佐野賢治、そごう元会長水島廣雄と懇意にするのみならず、戦後最大のフィクサー児玉誉士夫、山口組3代目組長田岡一雄、東声会(現・東亜会)会長町井久之ら、アンダーグラウンドの世界にも顔が利いた。現在服役中の許永中も若い頃、大谷のボディーガード兼運転手をしながら、フィクサー業の修行をした。後に、「大谷先生の下で働き、大人の恐ろしい世界を知った。」と述べている。

上述の肩書きの多くは、政財官界やアンダーグラウンドの世界に対する大谷の絶大な影響力を頼み、経営危機からの脱出、暴力団や総会屋からの防衛等を望んだ企業側が提供したものである。

なお、ジャニーズ事務所の社長・副社長であるジャニー喜多川・メリー喜多川姉弟が終戦前に帰国した際、大谷の元に身を寄せ面倒を見てもらっていた

大谷が死去した際、葬儀委員長は福田赳夫元首相が務めた。

日美ビル

小佐野賢治(2012年12月13日 (木) 15:06 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』

小佐野賢治(おさの けんじ、1917年2月15日 – 1986年10月27日)は、日本の実業家である。国際興業グループ創業者。

……
ロッキード事件
1976年(昭和51年)ロッキード事件に絡み衆議院予算委員会に第1回証人として全日空社長の若狭得治、丸紅の伊藤博とともに出頭。その際の証言が議院証言法違反にとわれ1977年(昭和52年)に起訴され、1981年(昭和56年)に懲役1年の実刑判決(判決言い渡し翌日には控訴)。

小佐野は日本航空および全日空の大株主となり航空業界への進出を狙っていたものの、全日空への新型機導入に絡んだ「ロッキード事件」の発覚により頓挫したといわれる。また、1976年に「ロッキード事件」により衆議院予算委員会にて証人喚問されたとき、ここで小佐野が何度も口にした「記憶にございません」は、この年の流行語となった。

係争中の1985年(昭和60年)に帝国ホテル会長職に就任。犬丸一郎を、帝国ホテルのメインバンクである第一勧業銀行の反対を押し切り社長昇格させる一方、第一勧業銀行出身の藤居寛を副社長に就任させた。
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家族
・妻 小佐野英子(堀田伯爵家の娘)
旧下総佐倉藩主・堀田家出身。堀田正恒の長女。女子学習院(後の学習院女子高等科)卒。1947年に小佐野と結婚。
藤島泰輔と旧知の仲。一時期は、藤島の妻であるメリー喜多川姉弟が経営するジャニーズ事務所に融資を続けるスポンサーだった

ロッキード事件といえば→塚本素山ビル

犬丸徹三(2015年12月10日 (木) 22:50 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』

犬丸徹三(いぬまる てつぞう、1887年〈明治20年〉6月8日 – 1981年〈昭和56年〉4月9日)は日本の実業家。元帝国ホテル社長。
元帝国ホテル社長
犬丸一郎の父。

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家族・親族
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・息子
 ・一郎(実業家・元帝国ホテル社長)
  同妻 伊津子(実業家・元富士ゼロックス相談役最高顧問
小林陽太郎の妹)

小林陽太郎(故人)→三極委員会・アジア太平洋名誉議長

■考察
犬丸といえば、どうしても気になるのが、この方のご婦人。
ネット情報では関係はわかりませんが……。

日本に君臨するもの〜フリーメーソン日本ロッジ幹部の証言〜その2

いけばなインターナショナル

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