●伍堂卓雄
伍堂卓雄(ごどう たくお、明治10年(1877年)9月23日 – 昭和31年(1956年)4月7日)は、日本の政治家、実業家、海軍造兵中将。東京府士族。正三位。工学博士。 戦後A級戦犯容疑で一時巣鴨プリズンに拘留されるが、間もなく釈放され後に日本能率協会会長に復帰した。 |
●商工省
歴代の商工大臣等
14代 | 伍堂卓雄 | 林内閣 | 1937年2月2日-1937年6月4日 鉄道大臣を兼任 |
18代 | 伍堂卓雄 | 阿部内閣 | 1939年8月30日-1939年10月16日 農林大臣による兼任 |
19代 | 伍堂卓雄 | 阿部内閣 | 1939年10月16日-1940年1月16日 |
24代 | 岸信介 | 東條内閣 | 1941年10月18日-1943年10月8日 |
国務大臣 商工次官 |
岸信介 | 東條内閣 | 1943年10月8日-1943年11月1日 |
●軍需省
軍需次官
岸信介 | 1943年11月1日-1944年7月22日 |
椎名悦三郎 | 1944年7月23日-1944年7月28日 |
竹内可吉 | 1944年7月28日-1945年4月10日 |
椎名悦三郎 | 1945年4月10日-1945年8月25日 |
●伍堂輝雄
日本有数の閨閥地図を作り上げたともいわれた“永野六兄弟”の五男。弁護士だった永野法城が実父だが、海軍中将だった伍堂卓雄に養子入りした。運輸大臣を務めた永野護と新日本製鐵会長及び日本商工会議所会頭を務めた永野重雄、五洋建設会長を務めた永野俊雄は実兄。参議院議員を務めた永野鎮雄と石川島播磨重工(現IHI)会長を務めた永野治は実弟である。また、広島県知事を務めた永野厳雄、三菱マテリアル社長及び日経連会長を務めた永野健、大同鋼板社長を務めた永野辰雄は甥となる。 |
その後、奉天の世界紅卍字会の会長に推され、日本の軍閥と争いつつ日中平和に貢献。 |
永野辰雄:大同鋼板(現・日鉄住金鋼板)会長・社長、新日鉄常務/永野重雄長男
■考察
オムロンといえば、ダイコク電機も関係が。
●「ハングリー・ハート: 栢森家の系譜―ダイコク電機のルーツ」より