【wiki拾い読み】スヴェン・ヘディン

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スヴェン・ヘディン

スヴェン・アンダシュ(アンデシュ)・ヘディン(Sven Anders Hedin,1865年2月19日-1952年11月26日)はスウェーデンの地理学者・中央アジア探検家。
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1899年から1902年にかけて、タリム盆地および中部チベット湖沼地方の北部を探検した。その間、1900年に古代都市
楼蘭の遺跡と干上がったロプノールの湖床を発見し、よく知られている「さまよえる湖」説を唱えるに至った。多くの文書・遺物を取得してカラコルム山脈を越え、レー・カシュミールに出て、再びカラコルム峠を越えてカシュガルに至り、フェルガナのアンディジャンに到着、ロシア経由で帰国した。

1905年、ペルシアからインドに入り、レーから西北チベットに侵入、中央チベット湖沼地帯を探検してインダス川、サトレジ川(インダス川支流)、ブラマプトラ川(ガンジス川支流)の水源地方を調査。シガツェに至ってパンチェン・ラマの歓迎を受けた。サトレジ川の河源およびヒマラヤ山脈の北にあってこれと平行し、カラコルム山脈に連なるトランス・ヒマラヤ山系の発見は、この調査旅行で最も意義ある業績である。カイラス山へも訪れたが、チベット人に入山を禁じられている。これらの成功は、パトロンであるロシア皇帝ニコライ2世との個人的な友情なしには成功はなしえなかった。また、ノーベル家の援助も受け、その関わりは生涯に渡った。
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1934年にロプノールの復活を自らの目で確かめた後、1935年に帰国したが、途上立ち寄ったドイツで
アドルフ・ヒトラーの歓待(ヘディンはナチス党員ではなかったが、チベットに興味を持ち、自分の偉業を正当に評価してくれるヒトラーとは親密だった)を受け、その後数回にわたってナチス幹部と接触を持つ(金子民雄「秘められたベルリン使節」に詳しい)。このコネクションを使い、ユダヤ人やナチスドイツに占領されたノルウェーのレジスタンス活動家を救い出したこともあった。なおヘディンは、16分の1でユダヤ人の血筋(ヘディンを貶める巧妙な告発であったが、自身はこれを誇りであると偏見誹謗を一蹴した)を引いていたが、新聞紙上で台頭期のナチスを礼賛したこともあった。

これらの行動が原因で、第二次世界大戦終結後にスウェーデン国内ではヘディンを「ナチス・ドイツに協力した」として大きく批判された。
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日本との関わり
・探検旅行の帰途、
1908年には来日し、明治天皇に謁見日本人として初めてチベット入した河口慧海とも書簡を交している。1923年にも来日している。
・1948年には
ノーベル文学賞候補として日本の賀川豊彦を推薦していたことが、ノーベル財団が公表したノミネートリストより明らかになっている。

■考察
どうやら、ヘディンも世界連邦運動派のようですね。

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