藤山愛一郎(ふじやま あいいちろう、1897年5月22日 – 1985年2月22日)は日本の政治家・実業家。元外務大臣・経済企画庁長官。藤山コンツェルン二代目。 東京王子に王子製紙専務取締役藤山雷太の長男として生まれる。慶應幼稚舎時代、当時の官立崇拝の強い風潮の中、府立一中を受験するも失敗、慶應義塾普通部に進学した。更に慶應義塾政治科(現在の慶應義塾大学法学部)に進むが1918年に中退し、父が築いた藤山コンツェルンの後継者として大日本製糖社長となる。その後、日東化学工業(現在の三菱レイヨン)社長や日本金銭登録機(現在の日本NCR)社長などを歴任した。 [9]1971年10月には議員連盟団長として日本国と中華民国との間の平和条約を無効とする中華人民共和国との共同声明に調印したことで物議を醸したことがある |
■日本NCR→間宮精一
間宮精一(まみや せいいち、1899年(明治32年)1月17日 – 1989年(昭和64年)1月6日)は日本の発明家、カメラ設計者で、マミヤ光機製作所(後マミヤ光機株式会社を経て現マミヤ・オーピー)の創業者。 父は間宮勝三郎(旧姓河辺)で静岡県大仁(現伊豆の国市)で呉服店を営んでいて暗算が上手で有名であった。現在は良く当たる宝くじ煙草販売店として営業が続いている。発明家でもあり生涯に計算機や金庫で30件程特許や実用新案を登録している。1919年(大正8年)間宮式金庫を発明し、同年間宮堂を創業しその事業に専念するようになった。 |
■まみや宝くじたばこ店
静岡県伊豆の国市大仁472-2