疑獄と謀殺

読んだ本から

疑獄と謀殺〜戦後、「財宝」をめぐる暗闘とは(森川哲郎)より

P90より

 フィリピンからの問題の掠奪ダイヤは俗に山下兵団の財宝といわれるものであったが、憲兵隊が掠奪したものという。
 その後ひそかに日本に運ばれ、隠匿されたものであった。その量はダイヤ、貴金属類が中心で、当時約二百億円分あったといわれている。日本に運び出し、隠匿したのは、当時フィリピン軍政
付だった憲兵・杉山少佐と、司令部副官塚本少佐であったといわれていた。
 二人は昭和18年3月に、ひそかに財物を東京に空輸し、終戦直前まで、保管したというのである。
 フィリピン政府は、その後、血眼になって、このダイヤの行方を捜索していたものだ。
ダイヤの一部は、このときすでに千葉県で
古荘四郎彦氏(のちの千葉銀行頭取)が経営していた千葉合同無尽会社の金庫に秘匿されていたという。それは日銀地下の供出ダイヤとはまったく別のもので、その台帳にも記載されていないものであった。

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■つぶやき
塚本素山児玉誉士夫と同じだったですね。
児玉誉士夫の事務所が塚本素山ビルにあったのも、これで納得がいきます。

児玉誉士夫+笹川良一+塚本素山

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